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特急こだま:横浜駅1960年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 「昔ばなし」です
 ・・・・・時は1960年・昭和35年4月24日・日曜日。社会人一年生の、私は買って4ヶ月のオリンパスペンにフジカラー(リバーサル・ASA10)を入れて横浜駅の東海道本線下りホームに立って居りました。

■■■ 特急こだま:横浜駅1960年 ■■■

pen-para.gif 1958年11月1日、走り始めた、東京~大阪間、日帰りがウリのビジネス特急こだま号、当初は8両編成でしたが、この頃には、12両編成・所用6時間40分になっていたようです。 

(1) 「こだま何号」でしょうか・・・・?
 上り列車で、南西から北東に走る線路、背後やや斜めから陽が射していますので、「第一こだま」でしょうか・・・・・。クハ26は、この頃にはクハ151と呼ばれる様になっていたようです。

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(2) 例によって周辺の拡大写真です。高架の東急東横線の横浜駅ホームが見えています。高架下は崎陽軒の工場なのでしょうか・・・・。
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(3) こだま号が東京へ発車して行きます。前照灯に赤色硝子が嵌められています。連結器部分や運転室の上の付属物が違いますね。
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(4) 拡大写真です。背後の丘の斜面には広告が立ち並び、丘の上には集合住宅が何棟も建っています。東横線の背の低いトラス橋も懐かしい。
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pen-para.gif ・・・・・で、この6年前、1954年・昭和29年8月撮影の東海道本線車中からの写真があります。

(5) (3)(4)とは場所が少し違いますが、この写真は同じ丘の100mほど右の方になるはずです。丘の斜面、頂上部は草に覆われ、背の低い木が見えるだけで、見事なほどに何もありません。(3)(4)の写真の辺りにはそんない建物は無かったような気がしますが、如何でしょうか?
 このトラス橋は、新田間川に掛かる(4)のトラスとは違い、青木橋から洪福寺へ続く電車通りに架っています。
005-5408kansai04-yokohamatoyoko-01.jpg

(6) 丘をクロースアップしてみましょう。草木だけが見えています。
 手前のコンクリートの小さな建物は国鉄のものなのでしょう。鉄橋下や、小型トラックの向こう側など、戦後を感じさせる建物ぞろいです。
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(7) (5)の右端部分です。東横線のトンネルが見えて居ります。自動車の少ない道路にはオート三輪が見えます。60年近い年月が流れ、この辺り、この写真を思わせるようなものは、何一つ残っていないのではないでしょうか。
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(8) 東横線の電車を拡大してみましょう。クハ3750形でしょうか・・・・・と、すると電動車はデハ3700でしょう。
008-5408kansai04-yokohamatoyoko-04.jpg

coffee.gif 二駒の35mmハーフサイズのスライドを並べるつもりが、8枚の画像に膨らみました。
 思えば、横浜も、この辺りは・・・・いや、日本中ですが・・・・、60年でがらりと変わりましたね。

 週三回の、更新のペースが、ここのところ少々乱れています。もっと、少ない画像、少ない文章の方が良いのかもしれませんが、私、元々、お喋りなヤツなので、ついつい長くなってしまいます。
 では、また次回!!!!!


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manamana

(3)のこだまは、連結器のカバーがスマートですね。
こだまというと、遅いという今のイメージですが、
当時は最速最新鋭を表していたのでしょうね。
東横線の車両や、こだま号の影に見えているスポーク車輪の貨車などを見ると、際立って見えます。
by manamana (2011-11-03 08:33) 

のり

特急こだま、今見ても古さを感じないくらいですから、デビュー当時は驚きの眼で見られたことでしょう。追いかけて登場する電車特急「つばめ」「はと」とともに、ほんのわずかな命でしたが、鉄道史に輝かしい歴史を残した名車だと思います。
それにしましても、60年の歳月は何もかも消し去ってしまったようですね。高度成長と言われた時代の産物でしょうか・・・
by のり (2011-11-03 09:17) 

デトニ2300

 私が進学のため上京したのは1964年、その年の10月には新幹線が開通しましたが、4月の段階ではまだ在来線で、電車化された151系「つばめ」での上京でした。夏休みにはまだ存在した普通列車で帰省したように思います。東京に戻るときには153系夜行急行で戻ったように思います。いずれも特急料金は親から貰っていましたが、その金を浮かせて、遊びに使ったように思います。親不孝でした。その後新幹線が開通が開通しましたが、これも格好の小遣い稼ぎで、卒業するまで親不孝は続きました。151系は新幹線開通後は山陽線に移ったため、その後は乗る機会はありませんでしたが、学生時代の懐かしい思い出としては記憶に残っています。
by デトニ2300 (2011-11-03 10:11) 

なにわ

お久しぶりです、見るだけ状態になって久しいです。

もう12両になっており、先頭の連結器の改造も東京方だけは住んでいたようです。
チャンピオンマークがないところから、1~2か5~6のどちらかなんでしょう。
上り電車ですから、「第1つばめ」ですね。第2なら夜中ですから。

それしてもISO10のフィルム、快晴でもISO100に比べて三段階と少し落とさないといけませんから、f4で50分の1秒ぐらいでしょうか。
レンズがf2ぐらいなら、200分1秒ぐらいまで切れるのですが。

それと、東横線の背景の山、岩崎渡辺コレクションの明治時代のタンク車の背景と同じ状態です。
今は、稜線だけが変わってないのではないでしょうか。

by なにわ (2011-11-03 11:53) 

たらこっち

昭和30年代の横浜駅でググってたら、拾いました。

毎日、横浜駅通りますが、こだまの止まっているのは、今の東海道線ホームのあたりなのでしょうか?写真位置から見ると、今の横須賀線ホームあたりに見えますけど。

Youtubeで横浜駅前が出てきますが、あまりに変わりすぎていて、横浜市民の私でも東口か西口かもわかりません。

http://www.youtube.com/watch?v=_M7wpr-JbwU


by たらこっち (2011-11-03 12:36) 

Cedar

もっと昔話をUpしていただきたいですね。部分拡大写真のファンですので、そちらも何卒よろしくお願いいたします。
by Cedar (2011-11-03 14:13) 

Crane

こんにちは
 こだま号興味深いです。連結器カバーや運転台の上のライトの周りが東京側と神戸側で形が違うんですね。よく見るとスカートの長穴も違いますね。
それから前照灯に赤いカバーを着けてテールライトにしていたんですか。面白いです。
 このこだまには乗った経験は無いですが、ボンネット特急はときやひたちに乗ったことがあります。特に常磐線では、ホームライナーでよく使いました。300円で乗れましたからとてもお得でした。
by Crane (2011-11-03 18:01) 

む〜さん

■■ manamana様:
 そう、国鉄の最新鋭特急電車でありました。はっきり覚えていませんが結局乗らずに終わった特急だったかもしれません。
 昭和35年、東急は、青蛙の5000、京浜急行は700が花形の時代になって居りました。
■■ のり様:
 特急こだま号は、花形特急でしたが、「つばめ」、「はと」の電車化で、同列になってしまいました。このこだま型電車は、当時としては非常に、印象的、スマートな電車に思えました。この型の電車に乗るのは、昭和36年10月、四国旅行の帰りに、宇野から乗った、特急富士が最初でありました。食堂車でチキンカツ定食を食べ想い出があります。
■■ デトニ2300様:
 私も学生時代は、東海道は、昼夜ともに各停を利用していました。もちろん、客車の時代です。社会人になっても、大阪まで行くのに、『町田~小田急~小田原~各停~熱海~新幹線~浜松~各停~豊橋~名鉄~名古屋~近鉄特急~大阪』なんて事をやっていました。楽しめて、しかも安く上がりました。(笑)
■■ なにわ様:
 お久しぶりです。
 なにしろ私のカメラは、オリンパス35も、ミノルタセミPも、オリンパス35も、200分の1秒までしかありませんでした。昭和37年だったかに、ミノルタAL(千分の1)を買うまで、高速シャッターと言えるのがありませんでした。露出計もバイト先で輸出用に作っていたセレン式のを買ったのが、昭和34年ごろでした。それまでは、『関式露出計算尺』か、『フィルムの箱に書いてあるヤツ』でした(笑)。
 横浜駅の北側の丘陵は、大規模な変化は無いようで、相変わらず坂の町です。横浜駅から、六角橋の我が家に帰るバスに、山を二つ凝れるルートがありましたっけ。
■■ たらこっち様:
 横浜駅は、東海道本線上りホームまでは、この頃と変わっていません。東海道上りホームの西側に貨物線が複線一組あり、その隣が東横線の高架でした。無理やりそれに島式ホームを作ったので、ホームが狭かったのですが、後に、東横線高架も無くなり、いまの広さのホームになりました。
 京浜急行もホームが狭くなり、下り専用ホームを作りました。
 横浜から町田に引っ越して48年、東側の横浜駅本屋も無くなり、西口の駅ビルも解体されます(ました・・・・かな?)。私には、東口、西口ともに、もう、何が何だか・・・・(笑)(笑)。
■■ Cedar様:
 昔写真のネタが、殆ど残って居ないのですが、ネタ探し、頑張りますね。2006~2007年ごろのネタの再使用も考えています。同じ視点でなく、別視点でやらねば意味が無いので、そこまで私の能力で出来るかどうか・・・・(笑)。
 頑張ってみますね!
■■ Crane様:
 ご覧の通り正規の尾灯はちゃんとあるのですが、後部の前照灯に赤色の硝子をはめ込み非常用の尾灯にしていました。多分、特急運用のときだけだったのでしょうが・・・・。
 一度だけですが、ある夜、蒲田で停車中の、こだま号を見たのです。前照灯の尾灯が明るく輝いていました。点滅していたかもしれません。後方の防護用だったのでしょう。

■■♪♪ 紺家様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-11-03 21:03) 

おおや

こんにちは。
ASA10というと、ASA100からみて1/8ですよね。かなりシャッター・スピードが遅いはずなのにとても綺麗に撮れていて、むーさんの腕の良さを物語っているようです。
3枚目後方に写っている、陸橋は今もあるように思うのですが、いかがでしょうか。
母の実家が柏崎で、上野~長岡までよく朱鷺に乗りました。151系が改造されて181系になった車両があると知ったのはここ10年くらいのことです。もしかしたら自分も乗れていたのかも知れないと思うと何だか嬉しいですね。
今は、E5系はやぶさに乗りたいです。
では、失礼します。
by おおや (2011-11-03 23:24) 

Ryo

こんばんは。151系…元祖こだま号ですね?この車の実物は昔万世橋の博物館で見たような気がするのですが、今の安っぽい特急とは風格が違う感じです。冷房装置のようなものもありますね。もうこの電車には冷房があったのでしょうか。とすればますますすごいです。

ところで、(5)の写真はやっぱり面白いです。高島山(正面の丘)から撮った写真は多くても高島山の方を撮った写真というのはなかなか見ません。まさに貴重なショットだと思います!
それと、本筋と関係ないことで申し訳ありませんが、上の返コメにある「山を2つ越えて六角橋へ行くバス」というのが妙に興味を引いてしまいましたのでもう少しコメントさせてください。そのバスは山を「1つ」越えるのが近年のルートなのですが、実は昭和30年代後半の路線図に、細い道で山を2つ越えないといけないような変な線が書かれていたのを見て気になっていたのです。本当にあったのか、と変なところで驚いています。ただ、その路線も前の市長がやった市バスの合理化で5年前になくなってしまいました。
by Ryo (2011-11-04 00:08) 

む〜さん

■■ おおや様:
 愛機のシャッター釦は軽いし、手持ちで1/25なら気楽に写せました。もっとも、いま、見直してみると結構、手ブレしてます。最速1/200ですから、引き付けるとブレちゃいました。
 背後の跨線橋は「らしい橋」はあります。果たして渡れるのか、写せるのか、確認した事がありません。電化区間で俯瞰撮影はアングルが限られ、敬遠してます。前回の新幹線は特例(笑)。
 「はやぶさ」・・・・・私は、東北・上越・長野新幹線は、あんまり関心が無かったので、よく判りませんが、たまに乗ると、いいものですね。未体験ゾーンの青森県、結構、憧れては居ます。埼京線の駅で新幹線写せる駅、ご存知でしたらお教えください。
■■ Ryo様:
 この20系→151系電車、冷房は昭和33年の登場時から付いていました。客車時代の特急つばめ・はとには付いてなかったんですから、国鉄も気合が入っていました。軽快・快速・快適の夢のビジネス特急でした。
 横浜から青木橋~反町~栗田谷~神大のそばを通り~六角橋~(行き先不明)の、バスがあった気がします。栗田谷の急勾配が凄かった記憶があります。トロバスの経路と、タクシーが、横浜駅西口から六角橋へ栗田谷経由で走ることが多いので、ごっちゃになっているのかもしれません。あやふやなご返事で済みません!
by む〜さん (2011-11-04 08:28) 

京阪快急3000

こんばんは。

151系の「特急こだま」、かっこいいですね。

東京へ向かう時は、前照灯に「赤いレンズ」をはめ込んでいたのですね。これ、前から疑問に思っていたんです。勉強させていただきました。

151系電車は、当時の国鉄としては、20系客車と共に、「時代の先端を行く車両」としてPRしていたものと、自分は思いました。

昭和29年の「東急東横線」の電車の写真もお撮りになったのですね。

とすると、撮影のキャリアは相当長いですね!!

今さらのようですが、頭が下がります。 
by 京阪快急3000 (2011-11-08 20:26) 

む〜さん

■■ 京阪快急3000様:
 昭和33年・・・思えば53年も昔の事なんですね。早いものです。しかし、未だにこの姿の電車が現役(・・・・たぶん)と言うのは、凄いデザインだと思います。
 後部のクハの前照灯の赤硝子は、常時点灯ではなく、駅以外の信号停車の時の点灯でした。一回見たことがあるのですが、非常に明るく、目立っていました。ブリンクは行っていたような『気』がしますが、メモなどはとっていないので、ちょっぴり怪しい。
 東海道本線は、『こだま』は走る『あさかぜ』は走る、『つばめ』、『はと』、九州急行もじゃんじゃんあって、まさに『華の路線』でありました。
 東急でも東横線は『一番良い電車』が集まってたようで、3700、3450、3800などが集まり、あの草色の5000も、東横線に配属されました。

■■♪♪ hajime様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-11-09 05:41) 

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