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国鉄成田線佐原駅夕景1963年 [国鉄1960年代]

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 ちょっと昔のお話です。1963年・昭和38年の3月のある日・・・たぶん土曜日・・・私は、浅草橋から都営地下鉄で高砂、京成に乗り換え成田、そして成田から国鉄成田線に乗って、佐原で下車したのですが、その佐原駅での三駒のフィルムから・・・・・昭和中ごろ、地方の駅風景です。

■■■ 国鉄成田線佐原駅夕景1963年 ■■■

(1) 私は、成田駅から成田発17時00分の441列車・・・・C58149牽引の客車列車に乗り、佐原駅二番線に到着しました。三番線には、17時40分発の準急水郷号(キハ28の3連)が発車を待っておりました。右の方にはワムが2両見えておりますが、貨物ヤードもそこそこあったように記憶しています。たしか、水郷各地からの船で来た農産物の鉄道貨車への積み替えもあったようでした。
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(2) ホームの模様を拡大してみました。準急は発車間際、到着した客車列車から降りたお客さんたちは、跨線橋に向かっています。
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(3) 今、下車した下りの441列車を写しました。C58149の次はスユニ30、その次は1・2等合造のスロハ31です。当時は、3等級制から2等級制に移行したころでした。右の高校生くんは、このまま、駅の外へしみ出しちゃおうという、魂胆のようで、なにしろ、駅は一方向しか出られないし、踏み切りも遠いので、きっとこの方が、正規ルートより、はるかに近いのでしょう。橋上駅とか、自由通路なんて考えもしない時代でした。
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(4) 下り列車の、機関車前方を、もっと見てみましょう。出発信号機よりも、ホーム側に、踏切があったようですね。出発時刻が近づいているのでしょう、信号機の腕木が下りています。
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(5) 跨線橋を渡る時に、成田方面を写してありました。上り列車の発車も、もう直なのでしょう、お客さんが走っています。
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(6) 写真の中央部分を拡大してみました。はるか遠く、気動車が写っています。17時40分の上り準急水郷号の後姿なのでしょう。
 列車が長いので、踏切をふさいでしまっています。バイクが待って居りますね。
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(7) もっと、拡大しました。遠方は間違いなく、準急のキハ28ですね。三番線の出発信号機の腕木は、すでに水平になっていますし、一番線の信号機は、まだ停止位置です。
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(8) 同じネガの踏切部分の右を拡大しました。バイクから降りちゃっている人がいたり、割烹着のおばちゃんが居たり、のどかなものです。右の奥の構造物は水槽でしょうか・・・・・。
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coffee.gif たった、3駒のネガから8枚の画像をひねり出しました。こうやって、細部を見て行くのも、面白いものだなあと思うのです。今回は、これで、お仕舞いに致します。


タグ:成田線
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服部光之

いやあ、いいなあ。
そうです、こんな光景が全国いたるところにありました。
普通列車が、準急列車の通過待ち。
いつしか、この総武線も、客車列車から、DCに変わり、今は、電化もして、鹿島線への乗換駅になっていったんですね。
暮れなずむ、夕方の光景、そして、暖かい食事が待つ家路へと急ぐ乗客の流れ、列車が通り過ぎるまでのどかに待つ踏切のバイクに乗った方々。
昭和の時代のあくせくしないでも暮らしていけた、のどかな時代を彷彿とさせていただきました。
by 服部光之 (2009-06-04 05:08) 

む〜さん

■■服部光之様:思えば昭和30年台位まで、ファジーでのどかな時間が流れておりましたね。皆さんも、現在の様にハイテンションでなく、簡単に切れちゃうって事も無かった気がします。
by む〜さん (2009-06-04 05:43) 

ファジー

過日佐原に行きましたが、こんなに広大な構内ではありませんでした。
古きよき時代の姿を見せていただき、現在に比べ地方都市における鉄道の役割がとても重要であったことを再認識いたしました。

それにしてもWルーフは、なんと優雅なことでしょう。うっとりしてしまいます。
by ファジー (2009-06-04 08:40) 

quatre-l

いい眺めですね。
フィルムの解像力に驚かされます。
ひとコマの中にこれだけの世界が写し込まれてるなんて。
深い奥行きがすばらしいです。
by quatre-l (2009-06-04 09:45) 

服部光之

水郷というサボを見て、こんなことを考えていました。
両国駅から出る、総武、房総方面の準急は、みなこの形式で、パネルが犬吠、内房、外房とありました。
いまや、両国駅、地平ホームは列車扱いはなく、物置同然で、たまに駅コンなどをやるようです。
なんか、栄華盛衰を思い浮かべました。
by 服部光之 (2009-06-04 13:59) 

野良猫次郎

拡大して見ると、いろいろなものが見えてくるのですね。

これだけ拡大してもボヤケ無いのは、レンズが良かったのでしょうか? それとも 特別のフィルムをお使いになられたのでしょうか?
by 野良猫次郎 (2009-06-04 14:15) 

京葉帝都

2番線の下り列車は10両編成くらいあったのしょうか。
ホームが全て列車に埋まる時は、活気があって見ていて楽しいです。数年前に通った越後線の吉田駅も夕方のピーク時に5本のホームのうち4本に電車が停車していました。
水運との連携を想定した貨物駅や、機関車駐泊所は無くなり、側線は減りましたが、駅舎や駅前の様子、小野川・旧51号線沿いの街並みなど、佐原旧市街地はむーさんの写真の頃とあまり変わっていません。
by 京葉帝都 (2009-06-04 15:03) 

デトニ2300

蒸気の牽く旧型客車群、懐かしいですね。私は子供の頃は関西ですが、関西線の天王寺駅から出発するC51やC57の牽く客車列車を学校帰りに飽かずに眺めていたものです。写真の切妻屋根はオハ61系でしょうか。写真からは外れますが、上京した頃両国駅はまだ総武線の始発駅で、中2階だったような気がします。国技館も蔵前にありました。当時はもう客車列車はあまり多くなく、普通列車はキハ17系、電機式改造やキロハ改造ののキハニが連結されていたこともありました。、急行はキハ28かキハ25だったように思います。まれにキハ60も見たことがあります。時たま客車列車も見受けられましたが、牽引がカマだったかDLだったかの記憶はあまりありません。最近はNEXで地上に出てくるときに時折ながめていますが昔の面影はありませんね。
by デトニ2300 (2009-06-04 15:30) 

む〜さん

■■ファジー様:もう貨物輸送も運転されず、貨物ヤードも整理されて、旅客ホームしか無いのでしょうね。先般、銚子に行きましたが、側線も殆ど無く寂しかったです。
■■quatre-l様:フィルムは何を使っていたか忘れましたが、たぶん、フジのネオパンSSかネオパンFを使っておりましたから、そのどちらかです。
車両だけでなく、駅前風景など、もっと沢山、撮っておくべきでした。
■■服部光之様:両国駅は汽車の始発駅の風格がありました。いまも、ホームがありますが、列車が始発することって、あるのでしょうか?あの頃は貨物ヤードもありましたね。
■■野良猫次郎様:この頃のカメラは、ミノルタのALという、ロッコールF2の45mm付きのレンズシャッターカメラ。セレン露出計連動で、レンジファインダ式でした。フィルムは、ネオパンSSか、ネオパンFだった筈です。要するに、普通のカメラとレンズです。この次の年に、一眼レフ、ミノルタSR-1を買うことになるのです。
■■京葉帝都様:スキャンした原データを見てみましたら、9両編成でした。C58-ユニ-ロハ-ハ×7のようです。
 佐原の街は古い町並みが残り素敵ですね。三菱銀行の古い建物は健在でしょうか?気になっています。しかし、佐原の呼び名に馴染みがあるので、香取市になっちゃったのは、少々寂しく感じています。
■■デトニ2300様:昭和40年ごろは、まだまだ、客車列車が沢山ありましたね。ローカル列車はオハ61が多かったけれど・・・・。
 両国の列車ホームは総武線電車のホームから一段下がった、2面4線(機回り線もあり)の風格あるものでした。今でも、駅本屋は当時の面影があるはずです。
 最近は成田線の成田以遠に乗る事もなく、佐原の街にご無沙汰です。車では通るのですが、町外れを通るだけで、街を見ることはありません。なんとか、チャンスを作って、行ってみたいです。
by む〜さん (2009-06-04 21:11) 

じろっち

さいきんの駅が窮屈に感じる理由は、貨物荷物の空間が無くなったことと、人口の増加だと思います。

公共輸送事業者は、監督官庁と旅客数増加傾向地域での今後に関する会議をもった方が良いでしょうね。

例えば、相鉄線が西横浜からJR線に乗り入れるとかね。
横浜線を2階建てにするとかも必要かな?
by じろっち (2009-06-04 22:19) 

mymeな大家

こんにちは。
キハ28、58の顔もほとんど見なくなってしまいましたね。以前にも書きましたが、私が始めて作ったHOのペーパー・キットが小高のキハ58 1500番台でした。0番台が欲しかったのですが、違いも知らずに買ってしまったのです。まだ実家にありますよ。30年たっていますね(笑)
ところでむーさん、お願いがあります。今回に限らず写真を撮ったときのカメラを教えていただけませんか。どれもこれも解像度の高い写真ばかりなので驚いているのです。クラシック・カメラ好きな大家は、手に入れて使ってみたいので、よろしくお願いします。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2009-06-04 23:40) 

服部光之

両国駅の貨物ヤードは現在の国技館の敷地でした。
あれは旧国鉄時代に売却されたのではなかったでしょうか。
両国駅地平ホームは終着駅のつくりそのものなんです。
両国という名前が、江戸と下総、上総をつなぐという由来ですから、あの地上ホームは文化財にしてもらいたいですね。
私にとっては、房総の海への導入部です。
by 服部光之 (2009-06-05 05:02) 

manamana

こうしてみると、
キハはすごい近代的な乗り物だったのですね。
大きく引き延ばすと、
いろいろなものが見えて来て、
興味深いです。
割烹着のおばさんなんて、絶滅危惧ですよね。
by manamana (2009-06-05 06:37) 

鉄道公園(江ノ電公開中)

昭和38年の成田線
懐かしいその当時の列車風景が思い出されます、何か写真を見ていたらSL独特のばい煙の臭いまで感じました
当時準急水郷の写真鉄道ピクトリアルで見たことがありました。
当時総武線の両国駅は行きどまりホームで盛んにDCがエンジン音を立てていてそれを何度か見に行きました。
ところで客車は茶一色でしたがのちに青色塗装も出てきましたがいつ頃からだったでしょうか。

ところで江ノ電PCで再現できる鉄道シュミレーター2メートル四方の広さで走らせられますが、電車は300+305しかありませんが近く全線レイアウト中いくつかの画像を静止画画像でお目に掛けたいと思います
ぼくの好きな光景は江ノ島駅ホームの旧カーブ、腰越道路併用区間、鎌倉高校前、極楽寺駅付近、そんなものが再現できればと思っています。
by 鉄道公園(江ノ電公開中) (2009-06-05 10:07) 

服部光之

たしか、上野駅に乗り入れていた最後のSJ牽引列車は成田線、我孫子周りで来ていました。始発は佐原ではなかったかと。
あさの上野駅でスポーク動輪の8600ではなかったかと思いますが、優美な姿を電車の窓から見ていたことを思い出しました。
行商人専用車があったり、のどかな列車でした。
3枚の写真から、思いのほか思い出されることってあるものですね。

by 服部光之 (2009-06-05 11:28) 

なにわ

ネタ違いですが、両国と阪和線の天王寺は、ともに他からは独立した雰囲気の千葉と和歌山(そしてともに半島)、そして別ルート(我孫子と王寺)から連絡している相似点がありました。

もっとも、総武線は錦糸町から地下線で、阪和線は関西線への連絡線で他線につながっています。

そうそう、昔は武蔵と下総の境界が隅田川でした。両国の由来は、ここから来ています。

一昨日、飛鳥に行ってきました。そのへんは後日BBSで。
by なにわ (2009-06-05 13:21) 

む〜さん

■■じろっち様:駅の空間が狭くなったのは貨物扱い空間が必要なくなった所為と思われます。輸送体系の大変化で、人、貨物等、全てのものが、駅を経由して入ってくると言う流れがなくなっちゃった為のようです。
■■mymeな大家様:キハ28・58のデザインは今見ても古くないですね。色も良かったし・・・・気動車史に残る名車と思います。当時のエンジンは一基180PSしかなかったのは残念でしたけれど。
 このときのカメラは、ミノルタのALというロッコールF2の45mm付きの、レンズシャッターカメラです。レンジファインダと、シャッターに連動するセレン露出計が付いていました。このレンズは大当たりのレンズで、じつにピンが良かったのです。一眼レフを購入した後、友人に譲ってしまったのですが・・・・。
■■服部光之様:両国駅はこじんまりとまとまったターミナル駅でした。いまでも、出来た当時のイメージが残りますね。汽車用の終端ホーム、電車用の通り抜け高架ホーム、貨物扱いも出来、都電の線路も入っておりました。今の靖国通りから、駅前まで、12系統の都電が入って居りました。
 確かに、最後の蒸機牽引列車の上野入りは成田線からだったと思うのですが、始発は佐原でなく成田だった気がします。私は当時の時刻表が無いので確認のしようもありません。
 常磐線の駅には、行商の荷物を載せる台がありましたが、いまは如何なのでしょう。
■■manamana様:気動車は煤で汚れないので、夏は窓全開で涼しい旅が出来ました。私は、こんな気動車で四国の土讃線のトンネルの沢山ある区間を堪能したものです。
 割烹着のオバサンは、ホントに絶滅寸前ですね。残念なファッションアイテムです。なんとか、残って欲しい。
■■鉄道公園(江ノ電公開中):蒸気機関車の牽引するチョコレート色の客車列車・・・懐かしい昭和前半までの旅の風景です。そんな鉄道環境で私も育ちました。その客車がブルーになったのは何時頃だったでしょう・・・・忘れたと言うよりも、私にとっては『いつの間にか・・・・』って感じでした。
 両国駅の気動車や蒸機牽引客車列車の発車シーンは、まさに一幅の絵でしたね。
■■なにわ様:総武鉄道も東京のターミナル、両国駅を隅田川の向こう岸につくりましたね。いろいろ事情もあったのでしょうが。
 天王寺駅・・・だいぶご無沙汰してますので、たまにはご挨拶に行かねばなりません。
 飛鳥と言うと、法隆寺を思い出すのですが、法隆寺と言うと、軽便鉄道がありましたね。写真しか見たことがありませんが・・・・・。
by む〜さん (2009-06-06 00:01) 

服部光之  

キハ58というと、思い出すのが、急行三陸です。
私は、盛岡から、上野まで乗りましたが、途中小牛田までは三陸からの急行を併結しながら、エンジンの轟音をとどろかせながら、常磐線を乗りとおしたことが懐かしいです。
たしか、盛岡では6両だった列車が上野では15両の長大編成になって、常磐線の線路を長蛇のごとくクネクネと走り、夕暮れの都会に入っていたことを懐かしく思い出します。たしか、盛岡から7時間ぐらいかかったような気がします。
名前の通り、途中、併結した急行は、陸中や陸前だったり、本当に東北地方のメイン列車という思いでした。

by 服部光之   (2009-06-06 11:20) 

む〜さん

■■服部光之様:気動車急行全盛時代というと昭和40年を中心とした辺りだったでしょうか・・・。特急はキハ82、急行準急はキハ28/58だったでしょうか・・・。カッコよくって高性能、全国を制覇しました。同時に、編成の分割併合が簡単なので、いろいろな列車が出現しましたね。懐かしく思い出しますし、かなり忘れているのに気づきました。なんたって、40年以上も昔の話です。
 鉄道の前途は明るく、その発展は際限がなさそうに見えました。
交通システムの変化は激しく、こんな形になって行く とは思ってもみませんでした。
by む〜さん (2009-06-06 18:12) 

服部光之

キハ82は名車でした。80はかわいそうでしたが。
特急まつかぜ、有明で乗車しました。
そういえば、上野発北陸線周りの白鳥がありましたね。
途中、青森からの白鳥と併結、学生時代に上野から大阪まで乗りとおしたいと夢を持っていましたが、その前に、ダイヤの筋が消えてしまいました。これはかえすがえすも残念でした。
東北線でも活躍しました。
ヒバリが季節運転だったときに1日1往復走っていて、夕方、下ってゆくのを夕闇の中に見送ったものです。
82の運転台の曲面ガラスも絶品でした。
まつかぜは、ちぎられるように関西圏から姿を消しました。
有明は今では、八代から福岡圏への特急になってしまいました。
夕方5時に西鹿児島を出た有明が小倉につくのは深夜11時半、
本当に長丁場でしたが、暮れなずむ有明海を眺めたのはいい思い出です。


by 服部光之 (2009-06-06 20:22) 

む〜さん

■■服部光之様:気動車特急全盛の時代に特急列車を堪能されたようで良かったですね。食堂車は利用されましたでしょうか?特急列車といえば食堂車は切り離せません。窓外を流れる風景を眺めつつ、お食事。それが、いまでは絶滅状態ですね。内田百閒先生も随筆で書いておられましたが、それほど美味しいものでもないけれど、そんなに不味いものでもない食堂車のお料理。私は、楽しみにして居りました。一度だけ、東京~博多を特急さくらで往復しましたが、それぞれ、夕食と朝食を食堂車で食べたのが良い思い出です。
 キハ82の曲面硝子のキャブのデザインは、国鉄のデザイン史に残ると私は思います。
by む〜さん (2009-06-06 20:39) 

風旅記

こんばんは。
先日、列車でこの駅を通る機会があったのですが、お写真の頃と同じ駅とは思えませんでした。時の経過を早送りで見てみたいものです。
それにしましても駅に活気がありますね。列車から降りてくる人の多いこと、そして列車の長いこと、駅も列車もスリムになった今とは、随分と違う世界に見えてきます。
209系電車の大きな窓から見る沿線の風景もいいものですが、往時の気動車や客車の窓を開けて外を眺めるのもいい時間だったのだろうと思います。
貴重なお写真、大変興味深く拝見させて頂きました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
by 風旅記 (2019-07-07 21:44) 

む〜さん

■■風旅記様:
コメント有難う御座います。この頃は貨物側線も多く貨物扱いも多かった様です。水郷の入り口ですから、水運の船着き場みたいのがあったような記憶もあります。
蒸気機関車の牽く客車列車もあり、開け放った窓からはいる風に吹かれて田んぼの風景をぼんやり眺めて居るのも、今考えると良いものでした。
by む〜さん (2019-07-07 22:00) 

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