So-net無料ブログ作成

東急デハ5000:1959年5月 [むかし噺(1)]

icon_zatsudan_small.gif
pencil-red.gif ど~も、毎度の、む~さんです。押し詰まりましたね~、何たって、今日を入れて、あと二日しかありません・・・・2008年も。

 一昨日、2008年12月28日・日曜日の夜、家人と知人一人、三人の忘年会でした。近所の、行きつけの韓国料理店『漢江』で、まあ、定番料理を何種か注文、麦酒と水(私だね!)で、質・量ともに堪能しました。これだけですけれど、もうこんな歳になってますので、これで、腹いっぱい。

(1) (左上)海苔・玉子焼き・白菜の和え物、(右上)ナムル、(左下)白菜・胡瓜・大根のキムチ、(右下)野菜チジミ。
081228dinner001.jpg

(2) (左上)今回の主菜はカルビ、(右上)カルビを焼いている、(左下)玉葱スライス・・・・カルビ用、(右下)サンチュとエゴマ・・・・カルビ用。
081228dinner002.jpg

(3) (左上)石焼ピビムパ攪拌前、(右上)同・・・攪拌中、(左下)ピビムパ完成!、(右下)ユッケジャンスープ。
081228dinner003.jpg

 いや、全く、美味かった・・・・・。満腹・満腹


icon_mukashibanashi.gif
pencil-red.gif さて、今日のブログが多分、本年2008年の最終号になりそうです。で、何を書こうかなあ、と思ったんですが、1959年・昭和34年5月東急東横線デハ5000にしました。東急の車輌史を飾る傑作電車。軽量・張殻構造の草色に輝く軽快な電車でした。現在は、渋谷のハチ公前に、車体の一部が展示中。また、遠く、九州の熊本電鉄で、両運に改造されて、頑張って居る筈です。

 昭和34年5月のある日、私は、東急東横線の多摩川園前駅辺りで、愛用のミノルタセミP・・・・廉価版のブローニー・セミ判のスプリングカメラ・・・・を持って、浅間神社の裏とか、多摩川台公園とか、歩き回って、東横線を撮っていました。

(4) 急行の渋谷行多摩川園前駅に差し掛かります。急行なので通過。三両編成でスタートした5000系ですが、この頃には中間電動車を入れて、4両編成になっていました。浅間神社の裏辺りから撮っています。
01-5905tamagawa.jpg

(5) (4)の部分拡大・・・・・多摩川園前駅。バックに多摩川園の飛行塔とか、観覧車とかが見えています。
02-5905tamagawa.jpg

(6) これも(4)の部分拡大・・・・デハ5000のクロースアップです。
03-5905tamagawa.jpg

(7) 線路の反対側、松籟荘という宴会も出来る食事どころがありましたが、その辺りから写しています。架け替えられる前の丸子橋の優美な姿を背景に、多摩川橋梁を急行渋谷行が渡ってきました。
04-5905tamagawa.jpg

(8) (7)の川の部分を拡大してみました。川には、ボートが浮かび、四手網船も見えるのどかな風景ですね。この頃から多摩川の汚れが目立ち、昭和30年代末になると、洗剤の影響で泡の塊が飛んだり、臭かったりで、閉口しましたが、この頃は、なにか食べられるお魚も捕れたのでしょうか・・・・。昭和20年代中ごろまでは、ここで、白魚も捕れたのですが・・・・・・。
05-5905tamagawa.jpg

(9) 電車の撮影を終えて、以前から気になって居た、石の案内標識を撮りに行きました。浅間様の踏切から東(地図の右)、地図の青い矢印の辺りまでゆくと、(10)~(12)のような石碑があったのです。
 石碑の角を右に曲がり、地図で言うと下のほうに、一寸入ると、長い、高い石段があり、頂上にお稲荷さんがありました。なかなか、見晴らしが良かった。
06-tamagawaen-map.gif

(10) 伏見・内福稲荷神社参道・・・とあります。
07-5905tamagawa.jpg

(11) 石碑の下の方には、寄進者の社名。曰く、目黒蒲田電鉄㈱、東京横浜電鉄㈱、㈱多摩川園
08-5905tamagawa.jpg

(12) 天辺の伏見内福稲荷社の文字。
09-5905tamagawa.jpg

pencil-red.gif 昭和34年と言いますと、多摩川園の出来た大正14年から34年経っていますが、まだ、多摩川園にも元気がありました。そして、1979年・昭和54年、多摩川園は54年目にして閉園と言うことになりました。私が子供の時代、1940年代後半から50年頃まで、小学生の私は、中にあった、映画館、動物園、遊戯物で、随分、お世話になりました。勿論、電気で動く、豆汽車もありましたよ。

pen-jump.gif この時の写真は、ホームページ「むーさんの鉄道風景・1953~1965」のこのURLからご覧になれます。あんまり枚数は無いのですが・・・・・下記をクリックしてください。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link151.html

pencil-red.gif 2001年1月16日に、このお稲荷さんを訪ねてみました。山の上にあった神社は新築のマンションの脇に、石段は残って居りましたが、石段の頂上にあった東横電鉄、目蒲電鉄の文字の入った柵や、神社の社殿はありませんでした。勿論、参道の石碑も無かったのです。

coffee.gif 多分、この号が、2008年・平成20年の最終号になりそうです。本年は、このつたないブログ「お出かけ通信:blog版」をご愛読下さいまして、まことに有難う御座居ました。
 来年、2009年・平成21年も、何卒よろしくお願い申し上げます


nice!(5)  コメント(25)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 5

コメント 25

のりさん

美味しそうなお料理、さぞや楽しい忘年会だったと、想像するだけで楽しくなってきます。
「かえる」さん、私の生まれた頃の写真です。ピッカピカの新車だったんでしょうね。
こういった石造物は、私も大変気になっているのですが、保存なんて難しいのでしょうね。「目蒲電鉄」「東横電鉄」なんて、見ているだけでも「すごいなぁ」と思ってしまいます。

今年一年、楽しい話題をありがとうございました。
来るべき新年が、むーさん様・ご家族様、そして読者の皆様にとっても、素晴らしき年となりますように・・・
by のりさん (2008-12-30 08:01) 

亀甲デザイン研究所

こんにちは。
子供の頃からこの近所に住んでおりますので多摩川園の写真、本当に懐かしいです。
かつて在った松頼荘というレストランから浅間神社に掛かったこの橋は今はありませんが、電車を眺めるには絶好のポイントでした。
この写真を撮られたときに親に連れられた3歳ぐらいの男の子が電車を眺めていませんでしたか?
多分、私です。
多摩川は今は、下水道が完備されたおかげで水も澄んで丸子橋から見下ろすと水底まで奇麗に見え、魚の銀色の鱗がキラキラ輝いています。
大正生まれの父の話では自分の子供の頃と変わらないと言っています。
下流には品鶴線の貨物列車も見え、子供にとっては遊び飽きない場所でした。
鉄橋という言葉はどこか遠いところへ通じる懐かしい響きがあります。
by 亀甲デザイン研究所 (2008-12-30 08:38) 

G20

小学校1年の、遠足が多摩川園でした。(昭和38年 中山小)
by G20 (2008-12-30 09:37) 

む〜さん

■ のり様: いや~、ホントに美味かったですよ。久しぶりのカルビ焼きだったので、感動してしまった(笑)。
 デハ5000、まあ、なんという輝きの草色だった事でしょう。後に、旧来の吊り掛け車に塗られた草色とは全然違う色でしたから、それはそれは、素敵でした。
 明治、大正、昭和のものは意外と大事にされませんね。産業遺跡、産業考古学というのかな?そんな学問は無いかもしれませんが、大事にしたいですね。なんたって、先人の偉業ですもの。赤煉瓦の車庫、機関庫も激減しましたね。
 今年は色々とお世話になりました。来年もよろしく御願い致します。
■ 亀甲デザイン研究所様: この辺りの方なんですね。多摩川園は映画館がありましたので、夕方の5時閉園後は無料で中に入れました。夏は明るいので、随分遊んだものです。動物園って言っても、狐に猿、アヒル程度しか居ないんですが、子供の目には楽しかったな。背後の丘陵上には能楽堂があって、その辺りの壊れたフェンスから潜り込む、ガキのテクもありました。
 浅間さまから、松籟荘への人道鉄橋は、何時の間にかなくなりましたね。浅間様の背後には、多摩川園の見晴らし展望塔がありました。
 釣りも水泳も多摩川で覚え、中学のときくらいまで、釣りと泳ぎに行ってました。あの辺りを通ると、気持ちだけは、少年時代に戻れるようです。懐かしいエリアです。
 そう言えば、思い出しました!何時までも電車を見ていたいと、父親におねだりする子供を見た気がしてきました。あの子が、貴方様だったんですね!(笑)
■ G20様: 小学校一年生の遠足が多摩川園でしたか・・・・良かったですね!なんたって、一流電鉄会社の遊園地ですもの!
 私が、国民学校(今の小学校)一年生のときは、昭和19年でしたから大東亜戦争中。学校から多摩川園の先、温室村と言ったあたりの多摩川に川遊びに行っただけです。勿論、歩いて・・・あのジャイアンツの球場の辺りですね。お母さんたちが、お米を工面してくれたのか、鮭缶のほぐしたのを混ぜ込んだ、お握りを遠足の皆に持たせてくれました。いまでも、鮭の缶詰をご飯に載せて食べると、あの時の味を思い出します。
by む〜さん (2008-12-30 13:30) 

mymeな大家

こんにちは。
多摩川園、懐かしいですね。
小学校の時あのあたりをよく自転車で行きました。
目蒲線のホームからは観覧車がよく見えていましたね。
多摩川園前駅の構内は、白いタイル張りの部分があり、他の駅とは何か違うなと感じていました。また、田園そばと言う立ち食いもありました。今、名称は残っているのでしょうか。
本年は、色々とありがとうございました。
年末年始にかけて冷え込むようです。ご自愛ください。
では、よいお年をお迎えください。
失礼します。

by mymeな大家 (2008-12-30 14:53) 

はーさん

富士見坂の途中のマンション建設のとき、神社の移動で長い間、もめていたようでしたが、結局、マンションの端になにか、纏められてしまったようです。
古い石碑の写真は貴重ですね。

今年もわずかになりましたが、むーさんのブログと皆さまのコメントを楽しませて頂きました。
来年もこのブログが益々、賑わいますように祈念いたします。
by はーさん (2008-12-30 16:30) 

鈴木光太郎

多摩川園の温室村というのは
http://www.denden-net.com/history/danwa/danwa3.htm
↑の写真ですかねぇ。
もうほとんど見たのか本で読んだのかもはっきりしない記憶です。

多摩川園の多摩川寄りの広場まで、東急バスが入りこんできて転回してた記憶もあるのですが、これもはっきりしません。

引率者の親や叔父叔母の財布が奮発可能な時は多摩川園遊園&豆電車、
奮発出来ない時は川原でウロチョロだけでがっかりだった記憶があります。
by 鈴木光太郎 (2008-12-30 17:38) 

hajime

うちは、今日ナムル食べました。
む~さんは、うちでは小田急じいさんと呼ばれています。
来年もむ~さんの記事を、楽しみにしています。
そして、お互い健康には気をつけましょう。
by hajime (2008-12-30 20:23) 

デトニ2300

 BLOG楽しませていただきました。いろいろ楽しい写真をUPしていただき、屑鉄としてはいつも楽しくは意見させていただきました。特にかつて一度は載ったことのある車両は、写真を見て往事の勇姿を思い出し、郷愁に浸っております。写真を撮る趣味は特段無く、普段のスナップ写真も娘たちからセンスがないと揶揄されており、良い写真が撮れないとあきらめておりますので、掲載された写真がたよりです。来年もまた楽しい写真が掲載されることを期待しております。明日はジルベスター・コンサートのチケが手に入ったので、渋谷まで出かけます。帰りは逗子までしか電車がないので、逗子に車をおいての遠征です。
 むーさん様もどうぞ良いお年をお迎え下さい。
by デトニ2300 (2008-12-30 22:05) 

ぽんた

美味しそうですね~。
韓国料理は辛いイメージがあるので、自分ではなかなか食べませんが
焼肉はイイですよね!
今年一年ありがとうございました。
来年もご指導くださいませ。
よいお年を!
by ぽんた (2008-12-30 22:25) 

む〜さん

■ mymeな大家様: 多摩川園は私の小学生~中学生時代の遊び場でもありました。結構、アバウトな時代でしたから、中に入っちゃうことなど、ガキ大将には何でもないことのようで、そのお尻にくっ付いてゆきました。園の丘の上の能楽堂の前には、ダグラスのDC-3だったでしょうか、よく判りませんが、壊れた輸送機が置いてありました。それも遊び場。
 ここの観覧車(5)に写っているのと違う、頂上部が水平移動する特異なもので、戦時中の休止で壊れていましたが、復活したのが、コドモには凄かった記憶があります。波乗りボートなんて、ジェットコースターの子分みたいなのもありました。
 想い出に浸ってしまって長くなりました。御免なさい。
 本年は、色々と感謝です。お体、気をつけてくださいね。
■ はーさん様: 富士見坂の例のお稲荷さんはマンション建設時に色々あったんですね。知りませんでした。2001年に確認した、あの階段は、まだ、あるのかなあと、思うのです。壊すのもただでは出来ませんので、きっとあると思います。神社などの移動ってのは結構、手間がかかりそうですね。
 いろいろと、コメントを有難う御座居ました。来年もご指導、お願い致します。寒さに向かってお体お大切に・・・・。
■ 鈴木光太郎様: 温室村・・・・↑の写真、見ました。まさに、コレですね。畑の中に温室と新興の住宅がありました。多摩川の土手で記念写真を撮りまして、おっかない顔でレンズを睨みつけている、国民学校一年生の私が写っています。いま、あの辺を通っても、当時の面影は感じられませんね。
 多摩川園と二子玉川園を結ぶバスは、昭和30年代初め頃に開通し、浅間様の前、東急自動車学校の広場から出ていました。多摩川の堤防の上をのんびり走りました。スライド式大窓で、クロスシートのボンネットバスが使われていましたっけ・・・。
 多摩川園の前には甘味どころが並び、氷イチゴを食べたり、露店をからかう米兵の獲得した賞品を、もらったりした事もあります。米兵は、子供には親切でした。施しモノをするという感じではなかった兵隊は、きっと、国に子供がいたのかもしれません。
■ hajime様: お、ナムル、食されましたか、きっと、手作りの美味しいものだった事でしょう。私も作りますが、一見、簡単なようで難しいですね。
 『小田急じいさん』ですか、良いネーミングだなあ。有難う御座います。小田急ファン冥利に尽きますね。小田急との付き合いも、もう、45年です。その割りには、オタクになれずに、ただひたすら好きなだけです。線路際で、ぼや~っと、7000LSEや、5200の急行を見て、シアワセを感じています。(笑)まるで、小学生時代に、池上線のデハ3300の最前部に乗ったときみたいに・・・・。
 お体、お大切に!!インフルエンザのワクチンはお済みですか?
■ デトニ2300様: 私の拙いブログを楽しんでくださった由、嬉しいです。お出掛け時の電車と食べ物がらみのルポと、昔写真中心のブログを、お気楽に作っています。こうやって、皆様から頂いたコメントにレスを入れて行くことで、色々な方々とつながっていられると言うことは、インターネットは文明の利器だなあと思います。
 大晦日にコンサートですか・・・・いいなあ!ナマの音に浸るって素敵ですよね。一度で良いから、シュトラウスのオペレッタ:蝙蝠と、ミンクスのバレエ:ドン・キホーテをナマで見たいと思っていますが未だ果たせずに居ります。(何時も、ビデオばっかりで・・・・笑)
 良いお年を!!!
■ ぽんた様: 韓国料理は、上の写真の中では、辛いのはキムチと、ユッケジャンスープだけです。また、真っ赤でも色ほどは辛くないものも多いのです。(メチャ辛のものもあるそうですが)
 一度で良いから『韓定食』ってのを食べてみたいですね。テーブルの脚が折れるほど(かなり大袈裟?)の、種類、量だと話には聞きます。四回の韓国旅行は一人が多かったので、韓定食は二人以上で無いと請けてくれないと聞き、未体験です。あっちに、友人は居ないし、ガイドさんを頼んで一緒に食べてもらうってのも、考えちゃいますしね(笑)。
 今年一年、有難う御座居ました。来年もよろしく御願い致します。楽しいブログを見せてくださいね!!
by む〜さん (2008-12-30 22:38) 

じろっち

むかし、この辺りに”多摩川スピードウェイ”が有ったのをご存知ですか?
黎明期の乗用車メーカーが開発のためにレースに参加していました。
ツインリンクもてぎ内にある”ホンダコレクションホール”にそのレース車両が置いてありますよ。
今も観客席の台座と最終コーナーが残っています。

このスピードウェイで実際にレースが開催されたのは開設期と占領下だけだったそうで、存命の観客は少ないそうです。

浅間・船橋と同じで、「遠い記憶」ですかね?

多摩川にはスピードウェイ以外にもゴルフ場が有ったそうですが、美濃部知事時代に野球場など、利用者が多い施設以外は廃止してしまったそうです。
by じろっち (2008-12-30 22:49) 

む〜さん

■ じろっち様: 多摩川スピードウエイはありましたね!堤防に観客用のコンクリートの階段状のものがありました。私は戦後、一度だけ、オートバイレースを見ました。いまのオートレースみたいに、片足を引きずりながら走っていたのかもしれませんが、記憶はアブないです。
 日本ハムの練習用グラウンドの会った辺りは、そのスピードウエイのフィールド部分です。トラック部分にはかなり後までアスファルトの舗装の残滓がありました。
 ゴルフ場は等々力あたりの多摩川の河原には、まだ、あるんじゃあないかなあ。少なくとも、昭和30年代前半にはありましたね。東京側にクラブハウスがあり、対岸の河原にコースがあって、船で渡ってました。

 いま、GoogleMapの航空写真で見たら、川崎側の河川敷にはゴルフコースはありますね。東京側のクラブハウスは、判読できませんでした。そういえば、先だって通ったときに、クラブハウスが有った様な、無かったような・・・・・。
by む〜さん (2008-12-30 23:01) 

鈴木光太郎

多摩川スピードウェイは戦後東急か何かの自動車学校になってました。
免許前一度だけ持ち込み練習に行ったのですが、
敷地が広いので、坂道の規模が他より大きく、フロントガラスに見えるのは青空ばかり、
坂道発進の練習は恐かったです。

by 鈴木光太郎 (2008-12-30 23:59) 

む〜さん

■ 鈴木光太郎様: (学)東急自動車学校は、上の(9)の地図の『丸子橋のたもと、交番の上側、54の数字の場所』でした。ここから、シャトルバスで丸子橋を渡り、ジャイアンツの寮(丸子橋の川崎側のたもとにあった)の前を通り、スピードウエイにある練習コースまで、生徒を運んでおりました。・・・が、何時か、二子玉川へ移転して行きました。その後に、何が来たのかは知らないのですが。
 浅間神社は2001年に行きましたが、幼い頃の記憶が戻るような感じでした。社寺は、経年変化が少ないので、記憶をたどる良いキーになりますね。

by む〜さん (2008-12-31 06:55) 

manamana

子供の頃、京王沿線に住んでいて、
初めて東横線に乗ったら5000系がいて、
おたふくかぜと命名しました。
by manamana (2008-12-31 10:56) 

なかっちょ

む~さんさま

今年もお世話になりました。
いつも読ませていただくばかりで、あまりコメントも差し上げずに失礼いたしました。

新年もよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。
by なかっちょ (2008-12-31 10:58) 

Cedar  

む~さん様
本年は大変楽しませていただきお礼申し上げます。
くだらないコメントにご丁寧なご返信感謝です、東京生まれのやや後輩電車好きの心にしみる写真とコメントの数々でした。
本年最後の多摩川園の5000型もいいですねえ。5000型と玉電200型は日本人と日本の鉄道が明日に向かって頑張っていた時代の野心作でしたね。下町生まれの鉄道好きのガキには渋谷から乗った東横線は地元の京成とは違う雰囲気を感じたものです
多摩川園では和船というかボートというか、木造船がレールの上を突っ走るアトラクションに乗った記憶があります。

最後になりましたが来年もお元気で、良いお年をお迎えください。


by Cedar   (2008-12-31 12:06) 

quatre-l

さすが、韓国料理がお好きなむ~さん。
ピビムバという正式な発音表記をされてますね。
方言などもあるのかもしれませんが、正式には「ピビムバ」って言うのだと、私の行きつけの焼肉屋さんから教えられました。

美味しそうな料理の数々をうらやましく思ってます。

同時に昭和34年頃の多摩川脇風景をご記憶されているのが、とにかくうらやましいです。来年は、機会を見つけて、この多摩川付近を散策してみたいと思ってます。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。
よいお正月を!
by quatre-l (2008-12-31 13:00) 

む〜さん

■ manamana様: 昭和29年でしたっけ?東急東横線にデハ5000、玉川線にデハ200と、張殻構造の電車が続きましたね。丸く膨らんだ車体は、一部の口の悪い方に、超満員に備えて、先に電車が膨らませてあると言われたりしました。東急の略号、TKKは、トテモ・コンデ・コマルの略だといわれた時代です。
でも、この構造で超軽量車体が実現しました。画期的な草色も鮮やかでした。学校帰りに乗ろうと、渋谷のホームで待っていた記憶もあるのです。
『おたふく風邪』は、当たってますね~、子供らしい、可愛い命名ですね。
■ なかっちょ様: 何時も御覧下さって、有難う御座います。頑張って更新を続ける甲斐があるというものです。ネタに困ると、昭和20~30年代の古写真に行ってしまいます。来年もご期待下さい。
■ Cedar様: 鉄道大好き少年のむ~さんは、如何にもぶっ飛ばしそうな姿のデハ5000が、意外と遅かったのが少々、不満でありました。窓を完全全開にして、風を入れ、外を眺めているのは爽快でしたね。
小中学校時代、通っていた多摩川園は、いまでも、遊戯物や配置について、略図を書けそうだなあと思うくらい、覚えています。今考えると、あの狭い中に、豆汽車、観覧車、飛行機塔はそれぞれ二つあったりしました。
コースターの子分の木造船というのは『波乗りボート』と言いました。鉄骨を組んだ高い位置から、斜面を駆け下りる、楕円形のコースを一回りして、始発場所の下のホームに着く。またリフトで、上まで持ち上げていました。ブレーキマンが一人乗っておりました。多摩川園で唯一、ダイナミックな乗り物でした。
■ quatre-l様: 7~8年前、韓国語を勉強した事があります。一応、ハングルは読めますが、意味は殆どわかりません(笑)。食堂のメニューや、駅の案内くらいは、一応判るようにありました。韓国も2000年以来ご無沙汰。また行ってみたいなあと思うことがあります。KTXも乗ってないし・・・・・。
多摩川駅あたりに行かれましたら、浅間神社に登ってみてください。良い感じですよ。
by む〜さん (2008-12-31 15:37) 

鉄道公園

これは本当に懐かしい東急東横線の通称青がえるですね。
ちょうど大学時代法政のある武蔵小杉ー国立間、結構乗り出がありますが毎日これに乗って法政の教養学部のある武蔵小杉まで通いました

当時はまだ国鉄山手線はモハ73全盛時代で渋谷で東横線ホームに止まっているデハ(モハデハないのですね、忘れちゃいました)車両が明るく薄暗い国鉄電車と対照的でした。

当時は渋谷ー桜木町と渋谷ー田園調布間が交互に運転されているなあと思いました。

さて今年も本当に楽しくいろいろな車両を見せていただきありがとうございます。

僕は今年一年の成果がどんなかを振り返りたく「ブログで今年を振り返りる」を今朝載せました
それでこれまで縁があって親しくなった方13人のお一人としてむ~さまを
鉄道の軌跡をこれまで入念に撮影されてきた鉄道のプロフェッョナルMRさん
というかたちで紹介させて頂きました。

母が年明け早々にいまの鎌倉から千葉の特養ホームに移る予定です、専ら江ノ電の写真ばかり撮っています。
2009年も引き続きよろしくお願いします









鉄道の軌跡をこれまで入念に撮影されてきた鉄道のプロフェッショナルMRさん


by 鉄道公園 (2008-12-31 18:03) 

む〜さん

■ 鉄道公園様: デハ5000で通学されたんですね。渋谷~武蔵小杉でしたら急行ですね。
 何年ごろのお話か判りませんが、私のHPの下記URLに、デビュー時の昭和29年から、30年、32年と、デハ5000ファミリーの隆盛過程を数枚の写真でまとめてありますので御覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link118-tkk5000.html
渋谷発の電車で途中折り返しは、田園調布とか、新丸子とかがありました。
 カルダンのデハ5000と、吊り掛けのデハ3700とか、デハ3600が主力の時代だったと思います。
 お母様の落ち着き先が決まったようでよかったですね。千葉は少々遠いけれども、のんびり行けば、それほど大変でないかもしれません。
 江ノ電の写真に期待です。
 来年も何卒よろしく御願い致します。
by む〜さん (2008-12-31 18:50) 

keroro

なんてステキな写真なんだ。
そんな時代を知らない私は見入ってしまいます。

ここに来るたび、電車のことにビックリして、勉強して、
コメントもドキドキしてなかなかできない次第。
でも、来年も懲りずに訪れますのでよろしくお願いします。
2009年がステキな1年になりますように♪
by keroro (2008-12-31 23:01) 

む〜さん

■ keroro様: 昭和34年といえば、もう50年も昔の事ですね。今度の誕生日で71歳になる私が、20歳!そんな日・・・・まだ日本人が一斉に走り出す前で、なんとなく長閑な時代でありました。D-テーマパークみたいな大規模なものでなく、小ぢんまりとしたものでしたが、当時の子供たちには夢のように楽しかった電鉄会社の遊園地。各私鉄が沿線に一つくらいは遊園地を持っていた頃です。
 このブログは、電車・汽車・旅・花鳥風月・食べる事が好きな人であれば、何方でも見においでくださることを望んでいます。けっして、学究的なものではありませんので、お気楽に・・・。
 だいたい私がテキトー人間なんで・・・・。
by む〜さん (2008-12-31 23:57) 

じろっち

今回のお題とは関係ありませんが、昨日・今日と211系のボックスシート車に乗りました。
(最近は少なくなりましたねえ)
昨日は東海道線唯一?のE233系に乗りました。

ツイてるのかな?

今日は止められることが多い「鎌倉踏切」(大船~藤沢)を10秒待ちくらいで通れたし・・・
by じろっち (2009-01-01 16:06) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0