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千葉経由で茨城へ1962年(下) [1960年代の旅]

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pencil-red.gif 昨日の続きです。

 1962年・昭和37年8月11日・土曜日、お盆ですね。家内の田舎に行く私の父と家内を、早朝の新宿駅で見送ってから、会社に出勤。土曜日のお仕事をこなして、午後2時に会社を出た・・・・筈。
 これから、家内の田舎に向かう。総武線国電~千葉~成田線~佐原が定番のコース・・・・・だけど、今日京成電車を使おう。

 千葉経由で茨城へ1962年(下) 

(1) 四ツ谷から総武線の電車で浅草橋。都営地下鉄に乗り換える。乗った電車が、たぶんこれ。そして、ここは何処でしょう?要するに、何処だか忘れちゃったんです。何となく・・・・何となくですよ!東中山駅ではないかと・・・・。電車は、地下鉄相互乗り入れ用の3050形。津田沼行の各停・・・二両編成。パタパタ式?の方向板が懐かしいです。
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(2) (1)と同じ駅。上りの電車が写っています。左右の扉位置がずれている妙な設計の車体を持つ、200形?210形
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(3) 京成津田沼駅。乗って来た3050形は引き上げ線へ。方向板はすでに東日本橋になっています。左に写っているのは、新京成のモハ126形130。
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(4) なんだか、凄い電車です。モハ126形130の単行。方向板は「前原 京成津田沼 間」と、「前原 三咲行連絡」です。
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(5) 津田沼から成田行に乗ったようで、京成の何処かの線路風景。田園地帯を走る郊外電車って風景です。
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(6) ロングシートのお客さんを掻き分けて、京成電車公認のアイスクリーム屋さん ※ が来ました。座席には、この辺りで、この頃良く見かけた、野菜などの「行商のおばさん」が座っています。もう、仕事を終えての帰り道なのでしょう。室内の照明は、もちろん白熱灯で、丸いグローブが懐かしいです。
 ※・・・・「いせや」さんは、国鉄の佐倉駅のお弁当もやっておりました。たしか一度くらいはお弁当を買ったことがあったと思います。昨年度のJTB時刻表にはお弁当のマークはありません。少々、心配です。
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(7) 何処だか判りませんが、なんとなく、成田が近そう・・・・。
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(8) 京成成田駅到着。電車はモハ210形の215。ちょっと、左側が欠けました。
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pencil-red.gif どうにか成田まで来ました。国鉄の成田駅は直ぐ其処です。ここからは、成田線のキハで佐原に向かいますが、残念ながら、その気動車の写真はありません。
 あいも変わらず、いい加減な、む~さんだったようですね(笑)。


coffee.gif ・・・・これで、今日はお終いです。また、次回!!!


タグ:京成 新京成
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コメント 22

のりさん

ロングシートの電車で、車内販売をしていたのですね。これはすごいですね。駅売りの車内版、といった感じでしょうか。今では、ちょっと考えられませんね。大阪方面でもこういったものがあったのでしょうか。あったとしたら、楽しいですね。少し気になり始めました。
by のりさん (2008-09-21 00:35) 

Cedar

うわあ~京成だあ。千駄木生まれの私にとっては一番身近な私鉄=電車ファンの人気は今ひとつでしたけどね。写真の頃は親戚が柴又と金町、四つ木に有ってよく利用してました。夏には谷津遊園や船橋ヘルスセンター(若い方は知らないでしょうね)にいくのも京成でした。
(1・2)は東中山に間違いありません、市川真間~海神間は松林の住宅街の中を行くのが良い感じで、この区間の高圧線ガントリーはコンクリート柱の独特の形でした、写真にも写っていますね。
(3・4)の津田沼駅も懐かしいですね、当時は上野寄りで成田線と千葉線が平面交差で分かれていました。
(5)は実籾~八千代台間、八千代台の手前の築堤上ではないでしょうか、前方のガーダーは旧鉄連線の線路跡を跨いでいたらしいです。松林を抜け右にカーブすると八千代台駅です。
(6)の車内販売!知ってはいましたが私の利用する区間では営業していませんでした、なんだか東南アジア的な光景に見えますね=でもいかにも京成って感じです。
by Cedar (2008-09-21 00:53) 

鈴木光太郎

ロングシートでの車内販売、こういう史実があったのですね。
そして極めて特異な例として、それをフィルムに記録した方がいたのはさらに驚きです。
京成本社にもこれに関する画像は無い可能性も考えられます。
このブログを閲覧していて良かったと思えるときです。

by 鈴木光太郎 (2008-09-21 01:31) 

gop

「汽車の窓から」早速取り寄せて読んでみました。
昭和20年代半ば、この様な旅行記が刊行されていた事にもビックリですが、同時期む〜さんさんが同じ様な旅をされている事にも又ビックリです。当時未だフィルムも貴重品だったでしょうに。

名古屋界隈の記事、貴重な写真もあって面白かったです。丸八の話しも出て来ましたね。ありがとうございました。
by gop (2008-09-21 02:41) 

じろっち

冷房が普及していない時代、アイスクリームで涼を求めたんでしょうね。

当時の千葉県内は、酪農家が多かっただろうし。
by じろっち (2008-09-21 05:05) 

manamana

車内販売の写真、貴重ですね。
こういうことは、当時乗った人でないと絶対にわからないですね。
売れていたのでしょうか?
by manamana (2008-09-21 07:15) 

む〜さん

■ のりさん様: 多少、混んでいる車内に出現したアイス屋さん、当時でも、私にはインパクト大だったのでしょう。二駒も写真撮ってますもの・・・・。
■ Cedar様: 京成電車にはご縁のあった方なのですね。グリーンとベージュの塗分けで、高架の多い路線だった印象が強いです。小学校のとき、谷津遊園に潮干狩りに行きました。帰りの電車から見た、三河島の汚水処理場の、曝気用の水車みたいなのが廻っていて、驚きの目で見た記憶があります。
 矢張り、東中山だったのですね。記憶の底にちょっぴり残っていましたが、自信がありませんでした。まだ、ボケては居ないのかなあと、少々安堵。
■ 鈴木光太郎様: 京成公認の車販だったと思います。ロングシートとはいえ、成田山詣での電車、京成ですからそんなお客さんも多かったのでしょう。今みたいに、特急も少なく、開運号にのるお客さんも多くは無かったのでしょう。なにしろ、1600吊り掛け車の2→3連が、時々走っていましたっけ。
■ gop様: 岩波写真文庫『汽車の窓から』、ご入手出来たとの事、良かったですね。あれは、鉄道書の歴史に残る名著と思います。同シリーズの『鉄道』も同様です。私は、名古屋市の市章が『丸八』というのは、『汽車の窓から』で知りました。
■ じろっち様: 今と違って、駅売りのアイスクリームは、大資本メーカーのモノをただ売るだけでなく、自家ブランドのものを売るところも多かったのです。もっとも、アイスクリームは乳脂肪何%なんてことも、一般化していませんでしたが。
■ manamana様: 国鉄の佐倉駅のお弁当屋さん『いせや』のアイスは、ピンクとブルー?のやけに目立つ色のパッケージでした。汽車で通ると、何回か買ったものです。佐倉駅には、もう一社、業者があったような気がします。なにしろ、戦争までは、陸軍が居た町ですから、乗降も多かったのでしょう。そして、東京から見ると、千葉から先は、汽車で行く、『遠い土地』に思えましたから、もう『旅』の気分でした。お弁当屋さんは必須でした。
by む〜さん (2008-09-21 08:46) 

なにわ

「いせや」さん、調べてみました。2002年3月で駅弁から撤退されています。

ロングシートでの車内販売、これは今なら近鉄の伊勢急行あたりで売りに来るようなものでしょうか。

妙に広い幅のホーム、やはり東中山駅でしたか。中山競馬場には行ったことがないのですが、大量の帰宅客をさばくためにホーム幅が広いのですね。
ホームが閑散としています。土曜日ですが真夏ですから、中山では開催していなかったのでしょう。今日はセントライト記念ですか。

新京成の旧型車、たった6cm広げただけなのに、妙なガニマタ感があります。
by なにわ (2008-09-21 11:05) 

Cedar  

京成は東京から東に延びる唯一の電車で昔は独特なムードを持っていたと思います。京成上野の古びた(当時でもそう感じた!)地下ホーム、博物館動物園駅の佇まい、妙に渋い青電の塗装。下町の家並みを貫く高架線(小学校の同級生の家が日暮里近くの高架下で、中は立派な二階家でした。)、町屋の汚水処理場の水車みたいなのは私も鮮烈に記憶あります。

旧型車の多くはご存知の左右非対称ドアで扉が開くと前に座っている人がいるのが独特でした!NYの地下鉄に同じような配置の電車が今でもあります、初めて乗ったとき「お!京成みたい!」と思ったものです。

船橋ヘルスセンターに行った時に帰りの電車内でアイスキャンデーを食べた記憶がありますが車内販売だったかどうか??
長々と失礼いたしました、京成の想い出は色々と尽きません。
by Cedar   (2008-09-21 17:36) 

む〜さん

■ なにわ様: 駅弁はお止めになったようですが、御弁当配送業は続いているようで、結構なことです。社員募集もしているようですし・・・。
 京成の軌間拡幅工事は私が大学在学中でした。一回ですが見に行きました。たった6cmの所為で、三線で工事が出来ず、大変そうでした。
■ Cedar様: 博物館動物園駅は、ついに乗降せずに終わってしまいました。先だって、未練がましく、駅の入口の建物だけ見に行って写真を撮って来ました。国会議事堂の天辺みたいな建物でした。
 京成の電車は左右のドア位置がずれていて不思議な構造でしたね。
 高性能車のモハ750の同系列のトレーラー、クハ2250だったかは、中間に挟まって走る前提で前面が眞っ平、特異な顔をしておりましたね。なんだか、ゲテモノ風で好きだったのです。
by む〜さん (2008-09-21 20:37) 

mymeな大家

こんにちは。
大変、貴重な写真を・・・他の方も書かれておいでですが、アイスクリームの車内販売、今でもしてほしいですね。マナーが悪いとごみだらけになりそうですけれど。
むーさんが乗られた電車も釣り掛けだと思いますが、新京成の電車も凄いですね。何だか、東武にも似たような電車があったと思いますが、譲渡されたものでしょうか。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2008-09-21 23:29) 

む〜さん

■ mymeな大家様: 私の乗ったモハ3050は、都営地下鉄乗り入れようとして製造されたカルダン車で、モハ750に次ぐ、高性能車第二弾でした。
モハ210形は、勿論、吊り掛け車です。これで、上野から成田まで通して乗ったら、今なら、結構、しんどいでしょうね。
新京成のモハ126形は、京成から移籍したものです。昔は、京成の第一線で働いていました。同系のモハ100の写真が、下記にあります。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2007-01-17
by む〜さん (2008-09-21 23:53) 

Cedar

またまたCedarです。博物館動物園と日暮里の間に戦前は寛永寺坂という駅があったそうです、小学校の友人の家がその近くにあり、彼のおじいさんが教えてくれました。
しばらく前まで駅入り口の建物が残っていまして、その前は広場になっていてかつては上野公園~今井間のトロリーバスの折り返し用のループ状の架線が設置されてました。
津田沼の新京成車は200型の前に登場した京成初の鋼製車100型の同属です。僕が子供の頃には京成名物<かつぎやさん>専用車に走っていましたね。我が家にも<千葉のおばさん>は来ていましたが京成沿線ではなく常磐線の我孫子の人でした。
クハ2250のアイロンをかけたようなお面が事故車の代走かなんかで先頭に出たところを一度だけ見た記憶もありますよ。
by Cedar (2008-09-22 00:12) 

む〜さん

■ Cedar様: 有りましたね、寛永寺坂駅。京成電車が日暮里駅を出て国鉄線路をオーバークロスすると、直ぐにトンネルに入りますが、そこにこの駅はありました。2007年11月5日に駅舎を見てきました。(下記URL)
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2007-11-10

この建物、取り壊されてしまったのでしょうか?
だとすると、鉄道遺跡が、また一つ消えたわけで、少々、寂しいですね。ただ、ここにトロバスのループがあったかなあ?結構、狭いですが・・・・。紀元2600年記念の国旗掲揚塔の基礎が残っていました。
いま、GoogleMapのストリートビューでみたところ、何時の画像だか判りあせんが、右側の建物がソレです。土地も建物も京成のものだそうで、再開発される可能性は大きいですね。GoogleMap検索は・・・・・この『住所』です。

東京都台東区上野桜木2-4-6

さて、私、クハ2250の顔が好きで、HO模型をやってた頃(大学の頃でしたから、50年も昔)、『この顔で、サイドが近鉄の特急車モ2250(奇しくも同じナンバー)にした車体』を設計しました。もちろん、ぐーたらむ~さんですから、製作には至りませんでしたが、図面は残っています。Cedar様の『アイロンをかけたようなお面』はぴったりの表現ですね。
by む〜さん (2008-09-22 05:01) 

うたに

アイスクリーム屋さんが車内に売りに来ていたんですか~!
20円という値段も、時代を感じますね。
常磐線でよく見かけた行商のおばさん、今でもいるのかな?
大きな荷物を持って歩く姿を見て、ウチより体力あるんじゃないか?? なんて思ったり。懐かしいです。。
by うたに (2008-09-22 12:56) 

む〜さん

■ うたに様: 昭和34~5年には10円なんてスティック状のアイスがありましたから、カップ入り20円。ラーメン35円、タンメン40~50円って感じでしたね。
10年一寸前まで、常磐線の駅で、行商おばさんの荷物を載せる台があった所がありました。いまでは、流石に、行商のおばさんはいらっしゃらないでしょうね。
by む〜さん (2008-09-22 20:27) 

津沢

常磐線沿線に住む津沢です。
佐貫駅には、行商おばさんの荷物を載せる台が上りホームにあります。家族が昨日(08/09/26)午後、下り電車内で行商おばさんを目撃しています。佐貫では下車せずそのまま乗っておられたそうなので、都内で行商を終え牛久以北へ帰る途上だったのでしょう。
新京成線は、1968(S43)年まで、前原で新津田沼へ行く線と京成津田沼へ行く線とが分岐していました。親会社(京成)の目論見に反して、総武線連絡の新津田沼系統がメインになってしまい、京成津田沼-前原間に連絡電車が運行されていました。1968年当時の新京成線には京成の少数型式の旧型車がまとまって移籍し、「開運」号に使われた1500型などが旧塗装そのままで運行していたり、既に移籍済みだった126型が京成3150型を小型にしたようなピカピカの新車体に更新されていたりと、なかなか楽しい路線でした(いまでも十分に楽しいですが..)。

by 津沢 (2008-09-27 21:30) 

む〜さん

■ 津沢様: 10年一寸前、常磐線の荒川沖駅で、『荷物台』を見かけましたが、現役なのか如何か解りませんでした。千葉茨城方面の駅では良く見かけた施設ですね。
現在でも行商の方を見かけるとのお話に、驚きました。私が若かった頃、東京の大田区方面の我が家にも来ておりましたが、その方から見たら、二世代あとの年代になりそうです。驚きました。
新京成電鉄は、実は、二回しか乗っていません。何処の駅だか忘れましたが、構内踏み切りに棘とげのバリアが植えつけてあったのが印象に残っています、。まさか、現在は無いでしょうが・・・・。
全線、通しで乗ってみなければ、いかんなあ!と思っていますが。

by む〜さん (2008-09-28 11:06) 

じろっち

成田といえば鹿島線のDD51を思い出しますが、DD51もいよいよ引退が近づいてきたようですね。

排気ガスによる環境対策もあるので、ディーゼル機関車自体の存在が難しいのではないでしょうか。

ところで、電化区間でも甲種回送や構内移動ではディーゼル機関車が使用される理由は何でしょうか?
架線は、本線・支線・側線などによって電圧が違ったりするんですか?
by じろっち (2009-10-24 05:35) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 DD51引退近し・・・ですか。凸形で、大枠に二台のエンジンを載せカバーしただけのシンプルデザインですが、なかなかいい形ですよね。力強いDD51、軽快のDD13、好きですね~。
 回送の牽引にディーゼルを使うのは、信号システム、電源、その他の要因・・・・・いろいろあるのでしょうね。
by む〜さん (2009-10-25 07:00) 

じろっち

きのう東海道線の車窓から茅ヶ崎機関区を見ましたが、もう電車しか居ません。
ターンテーブルも無くなりました。
そのうち茅ヶ崎電車区に改称かな?

かつて駅舎とくっついていた相模線ホームの「その部分」は、業務施設に変更されたうえに室内になってしまったので、当時の痕跡は分かりませんでした。

相模線の車外にあるドア開閉ボタンは、開きだけで閉めるは出来ないんですねえ。
下車される方は、手動開閉路線乗客のマナーなのか、車内の閉ボタンを押しつつ出てゆきます。
by じろっち (2009-10-25 22:04) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 昔は、蒸機C11や鋼体化客車、キハ41000でしたが、DD13(DE10も居たかな?)、キハ17、キハ20、それがキハ30系となり、いまや205系相模バージョンに統一、通票閉塞も自動化され、貨物輸送も消滅しました。時代を感じますね。
 沿線の住宅、会社は激増、通勤路線と化し、昔のローカル風味は消滅寸前ですね。
by む〜さん (2009-10-26 09:09) 

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