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大阪の電車1976年(2) [1970年代の関西電車]


 お早う御座います。昨日から始めた「大阪の電車1976年」の第二回です。1976年・昭和51年の8月末から、9月に入った辺り、どういう経過か忘れてしまいましたが、大阪に来ています。何故か、あまり歩き回らなかったらしく、『淀屋橋の街頭風景』、『北大阪急行』、そして『阪神電車』が、一本の富士ネオパンSS・20枚撮フィルムに写っています。
 昨日は、淀屋橋の風景を御覧いただきました。で、今回は、北大阪急行電鉄・・・・・。

 大阪の電車・1976年(2) 

 大阪市営地下鉄御堂筋線の北の端、江坂駅からそのまま、路線の名称が北大阪急行電鉄に変わるわけですが、走っている電車は同じだし、そのまま乗って終点まで来ています。近年になって、千里山あたり、大開発で都市化工事。万博も行われ、急速に変化した、未来都市。私は、そんな認識であったようです。江坂~緑地公園~桃山台~千里中央・・・・この区間が第三セクター北大阪急行電鉄で、全線で5.9kmあります。

(1) 千里中央駅は、地下の食堂街の更に下になっているようで、トンカツ屋さんとか、焼肉屋さんなどが、写っています。そして、更にその下の階にホームがありまして、食堂街から眺められました。
 停まっている電車は、北大阪急行の2000で2002、あびこ行です。柱の時計は、16時55分を指しております。

(2) こっちは、相互乗り入れの大阪市営地下鉄3000で、アルミニューム車体と、ステンレス車体とある中の、ステンレスの方。3003で、あびこ行。右目が細く、ナンバープレートが付いているのも面白いつくりです。保安関係の機器があるためらしい。乗って吃驚、シートがレザーで、これは素敵だ!とドンと腰を下ろしましたら・・・・硬い!!確かに、距離は短いし、これでも良いのでしょうが、ちょっとなあ!と思ったものです。まあ、その後、柔らかなシートになって行ったようですが。北大阪急行の2000のシートは柔らかかったと聞いていますが、如何だったのか記憶がありません。

 果たして、地上に出て駅前風景を眺めたのでしょうか、一齣の風景写真もありません。そして、ひと駅大阪側に戻った、「桃山台駅」ホームに降りて居ます。


(3) 桃山台駅ホームは掘割の中にあって、日陰になって居り、光線状態としてはあまり良くなかったのです。でも、新大阪から、江坂、そしてここまで見て来て、私にはここがベストと思ったのでしょう。
 線路の両側が高速道路、まるで、私には未来都市に見えたようで、何枚も写しています。いや~、大阪の人のやる事は凄い!と驚きましたっけ・・・・。
 大阪市営地下鉄3000、アルミニューム車体の編成で千里中央行、最後部は3525。向こうが千里中央です。

(4) あびこ行が来ました。同じ3000、同じアルミ車ですが、ラインカラーと言うか、幅広の帯があります。ナンバーは3520です。帯の色は『赤』と言う事になりますか・・・・・。

(5) 桃山台駅のホーム。向こうの陸橋のところにある建物が駅舎らしく、ルーペでネガを見ると『北大阪急行 桃山台駅』と大きな文字が写っています。電車は、大阪市営地下鉄の3000で、3020です。(4)と同じ編成。

(6) 千里中央行の3000系3024アルミ車、これもラインカラーはありません。丁度、ラインカラー付きになりつつある過渡期だったのでしょうか。右のマンションの屋上が賑やかなので、ルーペで見てみました。どうも、TVのアンテナらしく、大きな2スタックの八木アンテナが8~9本も並んでいるように見えます。当時は既にテレビは共聴アンテナは普通だったし、よく判りません。別のものかもしれませんが、不思議な感じがします。

(7) あびこ行の北大阪急行の2000が来ました。角が一寸取れたステンレスで、やっぱり阪急さんが一枚噛んでいるとやる事が違うと、当時の私は思ったのでしょうか・・・・・。ナンバーは2507です。

 これで、この日写した電車はお仕舞いで、次の駒は、次回、お届けする、この日の翌朝の阪神電車になっています。

 では、また・・・・・!!!


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コメント 11

なにわ

北大阪急行は別運賃になっているので、少ない線内旅客には目をつぶって線内だけなら安くなるように運賃が設定されています。

それにしても60年代は未来都市とはこんなものと思われていたのでしょうね。万博の夢未だ覚めずといった感じです。いまやこういう団地も老朽化し、子供たちは外へ出て行っています。
一方、現代の未来都市は超高層ビルでしょうか。
by なにわ (2008-02-17 10:54) 

岸田法眼

北急線の千里中央の江坂寄りでしょうか、柵があるので完成時から10両編成の運行に対応していたようですね。

30系のライトのまわりに赤いパネルを装備しているのは地上区間が長いため、利用客や工事関係者に“電車”の識別度を高めるためらしいですね。中央線で走っていた30系もそのようになっております。

30系は東京メトロ5000系によく似ておりますね。
by 岸田法眼 (2008-02-17 12:54) 

サットン

千里中央、私の大好きな駅です。あれだけ余裕のある空間を確保した地下駅は今でも珍しいと思います。ホームを取り巻くコリドーが素敵です。発車時のメロディーも季節によって変わります。

桃山台駅近くのマンション、棟番号がCで始まっているようなので公団(現UR)のものでしょう。当時は共同アンテナも普及し始めていましたが、全戸で1本とはいかず、何世帯かで1本という状況だったと思います。私の近所の団地はそうでした。

新御堂筋に挟まれて走る電車、江坂駅前の高層の大同生命ビル。当時小学生だった私には確かに未来都市の光景でした。

良い写真をありがとうございます。
by サットン (2008-02-17 15:50) 

じろっち

千里中央駅は、みなとみらい駅の元のようですね。
by じろっち (2008-02-17 21:00) 

む〜さん

■ なにわ様: 東京の未来都市、多摩ニュータウンも、我が家の近辺の団地も、住民の高齢化が進み、先が案ぜられる感じです。たまに、赤ちゃん連れの若いママを見るとほっとします。TXの沿線なんかに行くと、住民の若いのに驚きます。やっぱり若人が居ないと、町に活気がなくなりますね。
■ 岸田法眼様: ホームの柵・・・・なんであるのだろうと思って居りました。成る程、将来に備えてのものだったのですね。納得できました。30系の帯は御堂筋線のカラーではなく、警戒色なのですね。
東京メトロの5000系、東西線は滅多に乗らないので、随分見ていません。元気で走っているのでしょうか?・・・・それとも・・・・。
■ サットン様: 千里中央駅、じつに素敵な作りですね。もう一度行きたい駅です。発車信号のメロディが季節で変わるのは、楽しいですね。
共聴アンテナは、現代のような一棟一本以下じゃあなかったのですね。我が家の辺りの、昭和38年ごろの団地は、一室一本、しかも自分で立てさせられました。流石に今では、VHF、UHF、BSも含めて、各室に一本の同軸端子が来ています。
■ じろっち様: 一昨年の暮れに「みなとみらい駅」に行きました。吹き抜けの空間に、エスカレータ、エレベータ。凄いモンが出来ちゃったって感じましたっけ・・・・。
by む〜さん (2008-02-17 22:21) 

阪急電車のよろい戸

さすが、む~さん!観察が細かい!かつ正確ですね。私の地元千里ニュータウンをご紹介くださって有難うございます。千里中央駅は今もあまり変わりません。写真には写っていませんが、北急社史によれば、ここのエスカレーターは半年間で消えた万国博中央口駅から移設したものらしいです。(38年たってさすがに更新された?)発車メロディー、冬の曲は「たきび」です。桃山台駅は上屋が延長され、まもなくバリアフリー化工事で改札位置が変わります。大阪市交30系(と、呼ぶんです)は御堂筋線から撤退、北急2000形も引退しました。今は大阪市交は新20系、10系、北急は8000形が走っています。

千里ニュータウンはオールドタウン化がよく取り上げられますが、住民は再生のためにがんばっております!高齢住民がかなり元気です。千里中央では50階建てマンションがただいま建設中…未来都市として始まった町はやはり未来に向いていくしかないのでしょう…。
by 阪急電車のよろい戸 (2008-02-18 01:22) 

阪急電車のよろい戸

ちょっと訂正。桃山台駅のバリアフリー化、改札位置が変わるのではなく増設のようです。ホームの両側を新御堂筋に挟まれていて、本線は線路と同じレベル、側道は高いレベルにあるので、現在はホームから階段を上って(改札を出て)、上って(本線をまたいで)、下って(側道をくぐって)、また上らないと駅前に出られません。未来都市も現実はキビシーです…。
by 阪急電車のよろい戸 (2008-02-18 01:53) 

阪急電車のよろい戸

再度訂正…桃山台駅、「ホームから階段を上って(改札を出て本線をまたいで)、下って(側道をくぐって)、また上らないと駅前に出られません」でした。何度もすみません…
by 阪急電車のよろい戸 (2008-02-18 02:06) 

む〜さん

■ 阪急電車のよろい戸様: 千里中央駅、万博のエスカレータを移設とは良い利用方法ですね。製品が生きますね。
桃山台・・・・歩行者は大変で、階段ですか?エスカレータやエレベータは付いているのでしょうが、私なんか、もう、トシで膝痛も段々レベルアップして来て(まだまだ、歩けるし、仕事の社交ダンスも出来ますが・・・)大変だなあと思いました。
千里山は都心に近く交通も便利なのですが、東京郊外の団地群は、家を出て都心まで片道1時間半は掛かる。若い方々は独立すると、余裕があるのか、都心に近い所に行ってしまう。私たちは、40年も、そんな遠方通勤(彼らにしてみれば)をやって来たわけです。もっと若い方に住んで頂いて、平均年齢を引き下げて貰いたいのですが・・・・なかなか・・・・。
お名前をクリックしてブログを拝見させて頂きました。素晴らしい、熱意を感じる、ブログですね。
by む〜さん (2008-02-18 18:51) 

阪急電車のよろい戸

ブログをご覧いただいて有難うございます。む~さんの「熱心なのにのどか」な文章、参考にさせていただいてます。いま郊外の団地群ではどこでも若い人を呼び込むことが課題になっているようですね。私は郊外育ちなので、郊外には都心にない良さがあると思います。広い空、緑の丘。郊外の丘と団地の中を私鉄電車が走っていく風景は、私の原風景です。ネットでかなり仕事が出来る時代ですから、そんな人を呼び込めば…(それじゃ電車の利用客が減っちゃうか…)
by 阪急電車のよろい戸 (2008-02-22 04:17) 

む〜さん

■ 阪急のよろい戸様: 私が団地に入った頃、昭和30年代末頃は、団地は広くて明るくて、少々足の便は不便だけど、かぐや姫の神田川じゃあないけれど、四畳半一間風呂なし長屋で、ささやかに住んでいた私たちにとっては天国でありました。大阪地区の団地は、都心に近く、通勤時間の点では羨ましく思っていました。東京都心まで一時間半以上も掛けて何十年も頑張ってきた戦士たちも、いい歳になりました。お金もあって若い方々は去ってゆく傾向にあります。また愚痴になりました。
 しかし、少々不便でも、空気は綺麗、緑も山ほど、山だって近い、いい環境なのです。老若交じり合って、気持ちよく暮らしたいものです。数十年前の子供たちの声が、やかましいほどに響いていたころに戻って欲しいものです。聞こえてくる子供たちの叫び声、泣き声、笑う声、音楽のように心地よいものです。・・・・と、70歳になった今になって知りましたね。
by む〜さん (2008-02-22 09:58) 

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