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KKさんの北陸私鉄めぐり(10) [北陸の電車たち]

 大学の鉄道研究会以来、50年もお付き合い頂いておりますKKさんが、2007年4月15日~17日北陸私鉄めぐり二泊三日の旅に・・・・。その時の、福井・石川・富山の三つの県の私鉄電車の画像を、KKさんのご好意で、このブログに掲載させて頂いて居ります。

 KKさんの北陸私鉄めぐり(10) 

 高岡の万葉線を見た後、金沢へ。JR金沢駅近くのホテルで泊まり、明けて2007年4月17日・火曜日です。

 北陸鉄道石川線 

 まずは、北陸鉄道浅野川線を見学します。京王帝都の井の頭線から来た3000系が、ここでは8800系を名乗って、働いておりました。

 その後、同じ北陸鉄道の石川線に移動しました。鶴来の車庫で写した画像をご覧下さい。

(1)ED30形のED301、1954年東洋電機で製造された北陸鉄道のオリジナル電機機関車。ご覧の通り『除雪車』。

(2) これもスノープラウを前後に取付けて『除雪車』のED20形ED201。1931年、木南車両で製造されました。なんだか、所謂、南海タイプの電機機関車に似ていますが、『南海歴』は無さそうでした。

(3) モハ3750形のモハ3752と、二軸のホッパ車、ホム1です。バラスト運搬用だそうです。

(4) モハ3750形3752、1950年製造のモハ5000形が1965年電動機など交換したためモハ3750形となり、1983年車体が現在のものとなったのだそうで、当初はクロスシート車でしたが、のちにロングシートとなっています。現在は休車状態だそです。18m級の整った車体です。

(5) 東急の最初の地下鉄乗り入れ車、オールステンレスの7000系が前身のモハ7100形の7102。

(6) 同じく東急からのクハ7200形の7202。

 電車はこのほかに、京王帝都・井の頭線から来た3000系(井の頭時代)が一本、7700系を名乗っています。

 北陸鉄道は、以前、石川県内に数多くの鉄道ネットワークを持っておりましたが、現在は、そのうち二つの路線・・・・・浅野川線と石川線を残すだけになりました。


 北陸鉄道の見学も終わり、KKさんから画像のご提供を受けたこのシリーズも、あと一回を残すのみになりました。次号では、富山地方鉄道ほか、を予定しています。


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コメント 10

no

こんにちは。鶴来というと、私にはまず「ゼロの焦点」が浮かびます。残念ながら行く機会に恵まれていない鶴来とは、やはり山裾の町だったのですね。近代車両が並んでいても、何となくノスタルジアを感じるのも、松本清張のおかげでしょうか。
by no (2007-05-17 10:39) 

HIRO

北陸鉄道は浅野川線は、JR金沢駅の横から発車しているのでJRからの利用は便利なのですが、一方の石川線は金沢駅から繁華街を通って野町から出ているのでこちらは不自由です。
大体バスで15~20分かかります。
それで、ずいぶん金沢へは仕事で出張したのにとうとうこちらは電車さへ見るゆとりがありませんでした。
この写真ではかっての東急東横線で活躍されていた車両が入ってきていますね。
ということは北鉄は東急グループに入ってるのでしょうか。
by HIRO (2007-05-17 18:17) 

なにわ

この顔、東急7715編成(運転台取り付け改造)と同じ顔をしてますね。
>HIROさん
18m車という出物があったので、購入したのでしょう。
北陸鉄道はむしろ名鉄系ではないでしょうか。
by なにわ (2007-05-17 22:45) 

む〜さん

■ no様: 『ゼロの焦点』は松本清張でしたっけ・・・・。清張は余り読んでないのですが、『点と線』は、まだ交通公社から出ていた雑誌『旅』の連載小説時代に読みました。(『旅』は、何時の間にか新潮社発刊になってますね)
■ HIRO様: 金沢へは一度だけ行きましたが、浅野川線は車の中からチラッと見ただけ、石川線は野町駅で眺めただけです。すでにステンレスの時代になってからでしたが・・・・。家族との旅は、鉄道ファン的には不便です(笑)。野町には『柴舟』を造ってるお菓子屋さんがありましたね。
■ なにわ様: 東急の7000はBUD社の造るところの米国風な感じが好きでした。中間車に運転室をつけると、不思議な顔になりました。
by む〜さん (2007-05-18 00:17) 

京葉帝都

北鉄石川線は昨年5月に乗車しました。鶴来駅は木造でハーフティンバーの立派な駅舎でした。改札口から見た下り方向の複線のカーブはスケールの大きさを感じました。除雪や業務用のELが待機している姿や新旧の電車群は(3)の写真の歩道橋からよく見ることができました。終点の加賀一宮駅も白山比口羊(しらやまひめ/口+羊で一文字)神社の入り口にふさわしく純和風の立派なものでした。元東急の車両が2両でワンマンで走る姿はミニ池上線といったところ。廃止された寺井への支線にも乗車したことがありました。手取川の巨大なトラス橋が印象的でした。その時鶴来〜野町で乗車したのは3750形でした。この路線は首都圏のパスモよりも早くICカードが導入されており、ことに野町駅での路線バスとの連携はよくできています。浅野川線共々観光客にも利用してほしい路線です。
by 京葉帝都 (2007-05-19 00:35) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: 金沢の街は落ち着いた雰囲気で素敵ですね。特に寺町あたりが素敵です。市内電車が走っていた頃は皿に素晴らしかった事でしょう。
 10年以上も昔に行ったっきりですが、そのときは電車には縁が無かったのです。なんとか、時間を作って野町駅に行ったんです。どんな電車が来るのかと固唾を飲んで待ちましたら、しずしずと登場したのは、東急の7000系・・・・ずっこけました。
by む〜さん (2007-05-19 20:25) 

じろっち

書店で、江ノ電のグラフ誌を見かけました。
地上時代の藤沢駅の写真が載っていましたよ。
ネットでも「昭和の藤沢」というのが有ったので、見てみたら、藤沢駅が出ていました。
国鉄の駅も昭和53年までは地上だったんですねえ。
それにしても、昭和40年頃まで藤沢駅界隈は超絶に狭かったんですねえ。
むーさんが「こだま」を撮影した遊行通り踏み切りの写真もありましたよ。
この踏み切りは貨物が到着すると開かなくなったそうです。
by じろっち (2007-06-30 15:37) 

む〜さん

■ じろっち様: たしかに昭和40年ごろまでの江ノ電って、のんびりした田舎電車でした。黒澤 明の天国と地獄は何年でしたっけ?ポール集電がからかわれてました。ちょうどその後、ポールが廃止され、当時の私、クロサワ監督をちょっと恨んだものです(笑)。
by む〜さん (2007-06-30 21:45) 

じろっち

1960年頃、江ノ島鎌倉観光は、鉄道事業の廃止を検討していたそうです。
当時、国道134号線の4車線化計画も有ったので、鉄道用地購入も打診されていたのかもしれません。
当時はホントにお客さんが少なかったみたいで、ボックスシートも有ったんですねえ!
そんな江ノ電が今みたいな状況になったのは、TVドラマでたびたび登場してからでしょうね。
by じろっち (2007-07-01 06:21) 

む〜さん

■ じろっち様: クロスシート車は1956年・昭和31年登場の500形でした。丸っこい日本離れしたスタイルが素敵で、さらにポール集電と来てはたまらない魅力がありました。
 廃止されなくて良かったですね。いまや、立派な観光資源ですもの・・・・・。京都で例えれば、嵐電の線で行ってほしかったですが、わたし的に残念なのは叡電の方向に行っちゃった。
by む〜さん (2007-07-01 08:49) 

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