So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

関西電車巡り1980年(8) [1980年代の関西電車]

■ 1980年・昭和55年の8月26日(土曜日)~27日(日曜日)、十歳の次男を連れて関西電車巡りの一泊2日二人旅。国鉄奈良線稲荷駅から、当時、未だ電化していなかったキハ35系を並べた列車に乗っています。木津駅を出て、いよいよ、奈良駅です。

 奈良の都に到着、そして・・・・ 

 1980年8月26日(土曜日)、この日は、小雨が降っていたけれど、奈良に着いた頃には、すっかり上がって、街歩きも楽勝です。

(1) 奈良駅に到着、これは多分、同じホームの反対側に居たのでしょう・・・・関西本線・快速湊町行き113系。このまま、この快速に乗ってしまえば、今夜の宿泊先のナンバまで、すぐなのですが、次ぎは近鉄に乗るつもりなのでパス。(5番線の駅名標の奈良の次ぎは、当時は木津駅になっています。)

(2) 5番線には、キハ40を先頭に、たぶんキハ40×2+キハ35×2、関西本線・亀山行き各停。気動車のこのカラーは嫌いだったけれど、キハ40、そのものは好きなクルマ。

(3) 国鉄奈良駅から三条通りと云うのでしょうか・・・・こんな通りを東へ歩きます。

(4) 国鉄奈良駅から猿沢池までの中ごろの角を左へ曲がって、近鉄の奈良駅に向かいます。これは、三条通りだったかな?八百屋さんの店先。なんで、写したのか判りませんね。たぶん、真ん丸な形の茄子が珍しかったのでしょう。

(5) 左側に、こんな石碑がありました。漢国(かんごう神社)の境内にある、林(りん)神社の標識。私は大の甘党ですからカメラを向けてしまいました。お参りはしませんでしたけれど・・・・こんど、奈良へ行きましたら立ち寄ってみたいものです。林(りん)さんという大陸から来た方が、あんこの入ったお饅頭を、日本に伝えたのだそうで、その方が祭ってあるとの事。

(6) 近鉄奈良駅の近くまで来ました。この写真の道路の地下あたりに、近鉄奈良駅が有る筈です。地図を見ますと、この通りは、登大路と書いてあったり、大宮通りと書いてあったりします。
 たぶん、『ごくろうさん「やすらぎの道」奈良市』の標識を写したんだと思われます。

(7) バックが山ですから、たぶん東を見ています。右の二台のバスは奈良交通でしょうか・・・・。


■ メモもなく、時刻関係の写りこんでいるフィルムの駒も無く、何時ごろかよく分りませんが、もう、夕方になっている頃でしょう。これから、近鉄奈良線に乗って、今夜の宿をとってある、大阪・難波に向います。続きは、また明日!!!


nice!(0)  コメント(9)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 9

なにわ

もう27年も前の話ですか。超長文失礼します。

(1)奈良駅に貨車があるのが懐かしいです。84年2月の改正で奈良県内から貨物取り扱い駅が消え、わずかに奈良駅の南側にコンテナが積まれていましたが、高架化と区画整理でどうなってしまうのやら。
平城山駅ができたのは85年の秋でした。ソノシートつきの記念乗車券を持っていますが、箱の奥深くに納まっています。

(2)
1番線が桜井線
2番線が関西線奈良線到着
3,4番線が関西線電車折り返し
5,6番線が関西線奈良線出発
でした。113系が湊町ゆきであることと、昨日のキハ58から類推すると、17時前ではないでしょうか。

(3)奈良漬屋とみやげ物や以外、ほとんど店が代わってしまいました。この奥には電気屋が多数あったのですが、郊外型に敗れて全て消えてしまいました。最後に残った一軒も一昨年郊外に移転しました。

(4)どの店か思い出せません。

(5)40年以上奈良にいますが、行ったことがありません。

(6)ここから東が昔から登大路と呼ばれていたらしいのですが、詳しいことはわかりません。ここから西はかつては近鉄の併用軌道区間で阪奈道路につなぐためにできた道路を大宮通りといいます。
この標識を作った市長は味噌作りに力をいれ、市立の小学校を薄緑に塗ったりする名物市長でした。
その息子が後年市長になりましたが、不祥事でリコールされました。が、小泉選挙で衆議院議員比例区で当選してのさばっています。(ウチの選挙区じゃないか)
それにしても、ここに写っている会社のうち、今も残っているのは三洋証券の後の旅行代理店だけです。

(7)高天町(たかまちょう)交差点南西側から東を見ています。
向かって右の2台は奈良交通の前の前の塗色です。
右は近鉄奈良駅-杏南町、すぐ奥のバス乗り場から発車したところです。
中は急行表示がありますので、国鉄奈良駅-木津、もっと奥のビルの前の降り場でお客さんを降ろしたので真ん中の車線にいます。
左は京阪バスの京都駅-奈良駅-奈良、かつての奈良電バスの名残です。さすがに90年代初頭に消滅しました。
by なにわ (2007-04-28 11:23) 

住吉人

赤帯の113系、懐かしいですね。
日中は、大阪環状線に乗り入れしていました。

関西本線の普通列車は、当時4両編成もあったのですね。
現在のキハ120の1ないし2両とはエライ違いです。
by 住吉人 (2007-04-28 22:24) 

no

こんにちは。
三条通も、30年近く前はこんなにのんびりしていたのですね。
効率やきれいさ・洗練と、気楽さ生活密着や泥臭さが、どうしても対立してしまうことは、本当に寂しいことですねえ。
by no (2007-04-28 23:42) 

のり

関西線オリジナル塗装の113系は、春日大社の朱塗りの鳥居のイメージだと聞いております。阪和線用の青とともに、当時の関西国鉄の心意気を感じます。
生前、父が写真を趣味にしておりましたので、当時奈良へは良く出かけました。天王寺から関西線快速で、奈良へ入るのが通例でしたので、大変懐かしいです。
by のり (2007-04-29 10:15) 

む〜さん

■ なにわ様: 現在の奈良情報、感謝です。2001年11月に奈良は西大寺までしか行っておらず、奈良の市内は、ずいぶん昔に行ったっきりです。たまには、電車ばかりでなく、神社仏閣も拝観したいのですが、なかなか・・・・。奈良の街中も随分変わったようですね。
■ 住吉人様: 関西本線は幹線とは言いながら、どうしても裏道って感じで、それが好きだったです。各地に関西鉄道以来の遺跡もありますし・・・・。
■ no様: 三条通りの昔(と、いっても30年も経ってない)の風景は何となくキモチが癒されますね。東京でも、東急、京浜急行などの急行の停まらない駅駅周辺には、よくよく見ると現在でも、昔の『匂い』が残っています。
■ のり様: 大阪から関西本線で奈良へ行くと、車窓風景にも凄い変化もあって、近鉄ルートよりも楽しいかもしれません。とは、いっても生まれて以来、二度しか通ってませんが。
by む〜さん (2007-04-29 11:04) 

HIRO

この中で僕がすきなのは関西本線キハ40型です。
なかなかいいデザインと思っていますし、僕も好きな車輌です。
関西線といえば、奈良ー亀山間は結構変化があり、乗ったことがないのでテイチクDVD「関西本線を持っています。キハ110型ですがこの車輌イギリス製のエンジンで加速が優れています。
一度実際に乗車して見たかったですね。
でもキハ40型、何でオレンジ色のカラーだったんでしょうか。
警戒色のためか、中央線の101型の電車の影響からでしょうか。
by HIRO (2007-05-01 16:30) 

む〜さん

■ HIRO様: キハ40の車体デザインは実に素晴らしいと思います。このオレンジ1色のカラーは普通用途の国鉄気動車標準色でした。好きな色では有りませんが、警戒色+コストダウンと言う事で、こうなったのでしょう。気動車の色では、腰がブルー、上半分がクリームの車体色が、私の最も好きな色です。
 木津~亀山間は、加太越えの山岳勾配区間や、木津川の流れに沿った渓谷区間が素敵です。
 現在はキハ120形が活躍中とか・・・・・・。
by む〜さん (2007-05-01 22:34) 

急行かすが常連客

現在のJR奈良駅かいわいは大変身してしまって、再訪問されるときっと驚かれるでしょう。
JR奈良駅自体が高架になって旧駅舎が観光案内所になってしまいました。
そして駅周辺も機関区やダイエー奈良店といったランドマーク過去帳入りしてしまいました。
by 急行かすが常連客 (2016-03-10 14:55) 

む〜さん

■■ 急行かすが常連客様:
 コメント、有難う御座います。奈良へ入るのは殆ど近鉄になってしまい、もう何年も国鉄・・・JRで奈良入りして居ないのです。従って奈良駅の高架化を噂は聞いて居ますが見たことがありません。とは言うものの、イメージの国鉄奈良駅は地平で蒸気機関車気動車が行き来し、近鉄駅は高架駅の油坂駅から併用軌道で地上駅の奈良駅に入って居ます。中学の修学旅行で乗った奈良電のデハボの印象が強く残って居ます。
奈良の街はあと一回、訪問したいものと思うのです。何年か経ったら、歩けなくなると思いますので、「気持ち」は急いでいます。
by む〜さん (2016-03-16 22:19) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0