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70年代:関西電車-Ⅱ(12) [1970年代の関西電車]

■ 1976年+(0~2年)くらいの・・・・いや、多分、1976年6月あたりと推定される頃の、関西の私鉄電車のお話です。

■ 阪急電車・十三駅から、特急・・・・おそらく6300系・・・・に乗って京都は河原町駅に到着しました。地上に出れば、「四条河原町の交叉点」で、私は、四枚の写真を写しております。

■■ 京都・四条河原町:市電と市バス ■■

 四条河原町の交叉点付近で写した四枚の写真。今回は「京都市電・市バス」です。

(1) 四条河原町交叉点の南側から北を見ています。四条河原町交叉点の信号も写ってますね。電車は2600形の2612、『5系統』で、行き先は『京都駅』。

■ 『5系統』は、調べて見ましたら、京都駅前~塩小路高倉~洛北高校前~烏丸車庫前~千本北大路~四条大宮~九条大宮と、なっています。随分長い路線みたいに感じます。この1976年当時、この路線、全線運行されていたのかどうか、わかりません。なにしろ、全線廃止が1978年(昭和53年)との事なので・・・・・。

(2) 同じ、2612が、段々、近づいてきます。

(3) 変わって、こんどは、四条大宮 四条河原町交叉点から南方面。200系統・錦林車庫行きの市バス。

(4) 京都市バスというと、1954年・昭和29年の8月、京都、三条京阪前で移した、市バスを思い出しましたので、写真を一枚。この頃から、薄い草色に濃緑色の帯だったのでしょうか・・・・私の記憶の中の市バスは、白色ボディに濃緑色の帯なのです。ご記憶の方がいらっしゃいましたら、お教え下さい。
 昭和29年ともなりますと、ナンバープレートのフォーマットが全然、今と違いますね。(方向幕もありませんね!!)

 左端に電車の車体がちょっぴり写ってますが、これは、『京阪・60形・びわこ号のNo.62』です。

(5) 再び、市電。ところが、この電車、先ほどの2612です。烏丸車庫行き。さっきの2612が京都駅前まで行って戻ってきたのでしょう。京都駅まで、個々から約2.5キロ。往復なら5kmですから、そんなには早く戻って来れるのかしら・・・・・。それとも、この間に、私、昼飯でも済ませたのでしょうか・・・・まるっきり、記憶がありません。まあ、メモ無しの30年も昔の事ですからね、はっきり記憶していたら、自分自身がちょっと怖いですね。


■ そんな訳で、これで、京都市電はお仕舞い。・・・・で、フィルムの次ぎの駒は、いきなり近鉄西大寺駅のホームに飛んでいます。これでは、何に乗って行ったかも判りません。まあ、順当なところ、市電で京都駅前~近鉄京都線で、西大寺でしょうね。ひょっとして、特急くらいは、張込んだかもしれません。京阪・四条~丹波橋~近鉄のルートとか、国鉄奈良線のコースは、無いと思われます。

■ では、また明日!!!


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コメント 7

なにわ

この当時が1976年としますと、5系統は京都駅前-四条河原町-洛北高校前-烏丸車庫前-金閣寺道-西大路四条となっています。
(3)の市バス200系統は市電2系統の廃止代替バスです。
これで写真の撮影時期は1976年4月以降、1977年9月以前ということになります。
(5)のバックに交通公社が写っています。ここは後年トラべランドになります。1989年に九州ワイド周遊券を買ったことがあります。

話は変わりますが、バルボンさんは今でもオリックスで少年野球の普及に当たられています。
by なにわ (2007-03-13 18:13) 

む〜さん

■ なにわ様: 京都市電の5系統、やっぱり縮小されていたのですね。200系統の市バスは、2系統の代替バスだったのですね。2系統の電車は、京都駅から東へ、河原町の通りを北上し、今出川から右折、鴨川を渡り、銀閣寺道から南下、今度は丸太町の通りを西に進み西大路まで行き、そこから南下して九条に至る(昭和36年ころ)、実に面白いルート。改めて吃驚。

阪急のバルボンさん、お元気で野球関係のお仕事とか、いや~、嬉しいですね。
by む〜さん (2007-03-14 00:29) 

’80XE PA96E

ボンネットバスが写ってますね。今は地方の観光用などですかお目にかかれませんが、私は車のメーカーがバス・トラックメーカーなので、車のイベントで展示に来てるのを乗ったことがあります。床が板張りだったと記憶しております。
by ’80XE PA96E (2007-03-14 06:00) 

む〜さん

■ '80XE_PA96E様: バスはボンネットタイプが普通だったのですが私が中学時代からだったでしょうか、キャブオーバー形が出てきました。高校に入った昭和27年ごろから、リアエンジン形が増え、日野のアンダーフロア形とか、メーカーは忘れましたがリアアンダー形とか出てきました。
 床はかなり後まで板張りで、油が塗ってありました。油は桐の木の油だと聞いた事がありますが本当かどうかはわかりません。シートは、ロング、クロス入り乱れていました。モケット張りも有りましたが、ビニール張りのも多かったのですが、これは、『埃』対策かも知れません。

 いま、気が付いたのですが、各バス会社の車体カラーって、昭和20年代末頃のカラーを今でも基本的には、守っているところが多いように思えます。東京都バスは、猫の目のように色が変わりましたが。
by む〜さん (2007-03-14 06:15) 

すが~ん

(1)(2)は四条河原町交差点よりも少し南に下がった辺りでの撮影でしょう。現在の地図では池田銀行前あたりでしょうか。
画像の右側のバス、京都交通のふそう車(型式はわかりません)です。えんじ色と灰色の塗りわけです。「亀岡方面行急行バス乗り場」のところに待合所と案内所がありました。京都交通は倒産して別会社(南部は京阪系、北部は日本交通系)となり、現在はここには来ません。

(3)(5)は四条大宮との事ですが、200系統市バス(日野車)の右上に「~駅(高島屋東口)」とありますので、これも四条河原町交差点からの撮影でしょう。奥の幸福総合銀行の位置が現在の池田銀行です。

(4)の昭和29年の市バスですが、手元にある「発掘カラー写真昭和30年代バス黄金時代」(JTBパブリッシング)という写真集によると、現在と同じ草色ベースのカラーリングです。車体の退色とか光線状態とかで白っぽく見えたのでは?

市電は今も広島電鉄でみられますが、バスや自動車は幼少の頃に見た形で懐かしくてたまりません。クラウンとコロナは兄弟と言うかよく似た顔ですね。長々と失礼しました。
by すが~ん (2007-03-15 22:36) 

すが~ん

(4)のバス(バスばっかりですみません)についてですが、「~黄金時代」の本文を読むと昭和33年に現在のカラーが制定、という記述がありました。
なのでご覧になったのは白っぽい車体だったのかも知れません。
方向幕がないのは、観光バスからの転用ではないか?とも思えます。後輪が普通のフェンダーじゃなくてカバーされていますし。
by すが~ん (2007-03-15 22:43) 

む〜さん

■ すが~ん様: ご指摘有難う御座います。(1)(2)の撮影場所は完全に私の思い違いですね。四条河原町交叉点からすこし南方、カーブが始まった辺りです。本文も訂正しておきました。
 (3)(5)は、書き間違いで、四条大宮のわけがありません。四条河原町で、これも訂正致しました。
 バスのお話、私も好きですよ。学生時代は、暇だと郊外のバス路線で田舎風景を楽しんでおりまして、仲間から『バス研』って云われたりしました。(4)のバス、ほんとは観光バスだったのかもしれませんね。それにしても、ナンバープレートが凄いですね。
 バスの色は、今になっては、記憶を呼び戻せなくなっていまして・・・・・本当にメモの大切さを痛感します。40歳台までは、いいのですが、段々、頭の中の引出しが判らなくなります。いまでは、引出しを探し当てても、中味が・・・・・・。嗚呼!!!
by む〜さん (2007-03-16 09:40) 

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