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関西電車巡り1977年(4) [関西電車旅1977年]

■ 昭和52年、夏、当時7歳の息子と供に、関西の電車を見に日帰りしたときのスライドから、お送りしています。

 阪急電車で大阪へ 

 我が家のある東京西部の街、町田市から、小田急~小田原~新幹線~京都~近鉄~丹波橋~京阪~三条(たぶん)~京阪~淀屋橋~地下鉄御堂筋線~梅田~阪神~三ノ宮までやってきました。大阪に戻るのですが、これは当然阪急。

(1) 三ノ宮から乗った梅田行き特急は何故か最後部車両。6112の車内はブラウン塗装、鎧戸の日除け、少ない車内広告、グリーンもモケットと、いかにも阪急らしい雰囲気です。
 私の阪急初体験は昭和29年夏の事でしたが、当時もこんな感じでありました。ニス色の木目印刷鋼鈑張りの車内、グリーンのシートは変わりませんね。
 現在の車両に戸袋窓はありませんが、当時の車両は、他社と同じく片開きドアで戸袋窓がありました。この戸袋窓が『磨り硝子』!!これは良かったなあ!!お子達には外が見えないので不評だったのではなかろうか・・・・・と思ったり致します。

(2) 6112の車内風景。上と同じ場所から反対側を見ています。

(3) 電車は西宮北口駅を発車しました。まだ平面クロスがあった頃で、いかめしい架線支持の構造物が見えます。左の電車は5000系ですが向こうに停車中の電車は1100でしょうか・・・・。

(4) 停車中の5000系の最後尾車が見えてきました。

(5) 梅田方から、5000系普通電車が到着してきました。

■ こんなに連続写真みたいに西宮北口駅を写しているのは、昭和29年夏に始めての阪急体験が梅田~西宮北口駅間で乗った920の特急体験の所為かもしれません。

■ 5000って好きなんですよ。いわゆる阪急形から、1000、1100などを経て、2000系から始まった新しい阪急スタイル。最初は違和感があったのですが、段々好きになり、いまだに好き。その頂点が2800であり、5000だなあと思うのです。

(6) ・・・・・で、電車は梅田駅に着きました。6000系の形は基本的には、2000からの流れですが、方向幕、腰部のライトで、お顔が少々うるさくなりました。


■ 梅田に戻ってきました。これから、梅田駅構内の写真を数枚写したのですが。そこから先は完全忘却・・・・まあ、見事に忘れ果てているのです。のこった何枚かのスライドで推理すると、この後、地下鉄御堂筋線で難波、近鉄難波駅から、近鉄特急に乗って近鉄名古屋、新幹線で帰ってきた『らしい』です。

では、次回!!!


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コメント 10

ヒロクン

阪急電車となるとコメント書かざるを得ません(笑)
5000系、6000系皆懐かしい車輌です。まだ。西宮の平面交差も健在でした。
阪急の室内、木目調というかマホガニー材調の温かい感じが大好きです。冬とか寒い日に北風に吹かれて車内に入ると暖かみ感じてました。木目調に緑色の椅子とても似合ってます。
僕は阪急梅田で5000系がくるのを何度も乗り逃がし、待ったことがあります。
なぜって車体は新しくてもゆっくりとしたコンプレッサーの音が魅力でした。
この5000も6000も更新車は今風スタイルで屋根部分白で見分けがつかなくなってきたようですね(鉄道雑誌で見た印象ですが)
by ヒロクン (2006-12-05 16:32) 

no

こんにちは。
同じ阪急電車でも、ライトやスカートで印象がずいぶん違いますね。
ところで、私はマルーンがノーブルで素敵だな、と思うのですが、私の後輩が駅で初めて阪急電車を見て「うわっ、茶色ですか」と大声で叫んだことを思い出しました。首都圏の人間(私だってそうですが)には珍しい色合いに映るのでしょうね。
by no (2006-12-05 20:14) 

む〜さん

■ そう言えば、阪急電車。初めてお目に掛かった昭和29年、現在と同じカラーでした。阪神、近鉄、京阪、南海などは当時とは色が変わってしまいました。南海や近鉄は、二度も変わりました。そんな事を考えると阪急は頑固ですね。とか言いますが、阪急も色が変わっていたかもしれない危機があったようです。なにか事情があって、色は変えないことになったようです。
私は、頭の白い阪急色は、あまり好きではありませんね。やっぱり単色がよろしい。
しかし、今後、アルミ車体やステンレス車体になったときにはどうなるのでしょう。伝え聞くところによると、関東の赤い電車、京浜急行も危ないようです。
by む〜さん (2006-12-06 00:15) 

ヒロクン

同感です。阪急電車の茶色って、普通いう茶色でなくまして旧型国電のあの茶色と違った上品なマーブル調ですね。僕は第二のふるさとというぐらいにしかも阪急沿線に住んでいたのでこの色大好きで、首都圏の私鉄がこの色で一度くらいは走行させたらと思うほどでした。それによく梅田駅のホームで停車中の電車に近づくと顔が映るほどよく車輌保守が行き届いていました。
by ヒロクン (2006-12-06 00:19) 

のり

この当時、神戸線にわずか二本ではありますが、釣り掛け車8連の堂々たる普通運用がありました。内1本は、戦前の900シリーズです。トップナンバー「900」を中間において、8連で大阪-神戸間を疾走する姿は豪快でした。
三宮駅で、タッチの差で逃したこの電車を、大阪から折り返してくるまで、待ちつづけたのも懐かしい思い出。
ブレーキ性能の関係から、最高速度は新性能車よりも低く押さえられていたようですが、それでも、駅間距離の長い阪急ですから、時速100キロを超える走りっぷりを、堪能させていただきました。起動時に、(おそらくパラレルからタパーに切り替わる時だと思うのですが)独特のノッキングがあったのを思い出します。
by のり (2006-12-06 08:30) 

む〜さん

■ この頃、900形、居たんですか・・・・お目に掛かれず惜しい事をしました。昭和40年代だったか、白黒フィルムで写しに行った事があります。そのときはカセットテープレコーダーも持って行き、偶然乗った、神戸線の900の車内音を録音しました。探せば、何処かから出てくる筈です。そして、フィルムもある筈なんですが、なんとなく探すのが億劫で・・・・・こんなとき『歳の所為』って逃げちゃあいけないってことは判ってるんですが。
by む〜さん (2006-12-06 15:46) 

京葉帝都

私が阪急に始めて乗ったのは、京都線のP6(デイ100)による7連の急行でした。豪快な疾走ぶりはいまだに記憶に残っています。当時は大阪万博の輸送のために戦前からの車両が温存されていたような気もします。もっとも阪急の整備の良さは定評があります。2000系以降の車両はディテールがいいですね。北大阪急行のポールスター号はマルーン色ではありませんが、内装はかなり阪急を感じさせます。
by 京葉帝都 (2006-12-10 02:38) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: 阪急京都線の100は、私の高校時代、昭和20年代末期には伝説の電車でした。山崎付近、東海道本線との立体交叉付近での、国鉄、・特急つばめを追い抜いたと・・・・・。
 北大阪急行・・・・阪急の子会社。いまWikipediaを見て見ましたら車内写真がありました。確かに阪急のそっくりさんです。何回か御堂筋線に乗ってるのですが、遭遇したことのない不運な私です。
by む〜さん (2006-12-10 05:55) 

なにわ

昨今阪急の客が減ったとか言われていますが、この当時と現在とすいていることには変わりませんね。西宮北口で副本線に入るところも。

北休8000って6本しかなかったのでは。10系、21系が50本近くある上に、千里中央-中百舌鳥の大運転にしか入りませんから、なかなかお目にかかれません。天王寺や新大阪折り返しには入りませんので、運用は絞れますが。
by なにわ (2008-10-09 21:35) 

む〜さん

■ なにわ様: 北口で特急の副本線は、昭和29年に乗ったときもそうだった気がします。
 北大阪の8000は少なかったのですね。会えないわけですね。
by む〜さん (2008-10-09 22:02) 

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