So-net無料ブログ作成
検索選択
1970年代の関西電車 ブログトップ
前の10件 | -

大阪の電車1976年(4終) [1970年代の関西電車]


 こんばんわ、今日は朝から色々ありまして更新が遅くなりました。これを、書き始めたのが、すでに20時。完成するのは、何時になるのでしょう。
 お出かけ通信が一回入って、再び「大阪の電車1976年」で、その最終回。如何いう経過があったかは忘れてしまいましたが、ともかく、大阪に来ています。淀屋橋の街角風景、北大阪急行の千里中央駅と桃山台駅を見て、阪神の梅田駅まで来ました。今回は、その続きです。
 頃は、1976年・昭和51年の8月末か9月の初めごろ・・・・・・。


■■■ 訂 正 ■■■

 今回のブログの撮影年月に付きまして、沢山のコメントをいただきました。間違った記述でご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。アドバイス頂きましたように、この撮影は、1976年・昭和51年ですね。この連載四回分の、1982年・昭和57年を1976年・昭和51年と訂正いたします。ご助言、有難う御座いました。コメントいただきました皆様に感謝いたします。
 確かに、掛布選手の在籍期間中の9月7日が火曜日の年は二回あって、さらに、5201形の在籍期間を重ねますと、ご指摘の通りになります。よく調べたつもりだったのですが、慎重さに欠けていたのでしょう。迂闊でありました。

 四回分、それぞれのタイトルと本文の記述につき、すでに書き換えを終えました。

 以上、御礼、お詫びとご報告まで。


 大阪の電車・ 1982 1976年(4終) 

 朝の大阪、阪神電気鉄道株式会社の梅田駅をちょっと眺めて、普通電車に乗って、次の駅・・・・福島駅にやって来ました。まだ、地平にあった頃で、道幅の広い踏切があったり、高架の国鉄・福島駅が見えたりしていました。

(1) 梅田行の普通電車がやって来ました。5201形の5201ステンレスカーです。ジェットシルバーと呼ばれたらしい。2両目は5202なのでしょう。

(2) 3両めと4両めは、何型か判りませんが、所謂、青胴車なのでしょう。

(3) 回送電車がやって来ました。3901形3903。右後方に国鉄福島駅が見えています。

(4) (3)の回送電車の後姿。最後部の電車は3504でしょうか・・・ボケたフィルムを拡大しても、そんな程度にしか読めません。向こうが梅田駅になります。

■■■ 追加画像 ■■■
(4-2) (4)の車両部分を拡大してみました。

(5) このツアーが1976年・昭和51年8月末か9月アタマと判定する証拠となった甲子園のポスター。たぶん、福島駅に掲示されていたのでしょう。藤田 平(6)、掛布雅之(31)、懐かしさについつい・・・・・。

 これで、フィルムは終わっております。


 最終回にしては少々寂しいので、景気付けにお古い写真を二枚ほど、オマケでつけます。以前、このブログに出した事もある画像ですが、前回とは雰囲気を変えた構図にしてみましたので、ご容赦ください。


 そういう訳で、大昔の阪神電車です。1954年。昭和29年の8月。初めての関西電車観光旅行を10日以上掛けてやったのですが、そのときの写真。

(6) まだ、地平の時代の今津駅西方、阪神国道という名の踏切での撮影。夕暮れの梅田行急行電車です。次の写真もそうですが、前面の窓、貫通扉の向こう側に、今の常識で見ると、一見、乗務員に見えるのは、お客さんなのです。こんな、素晴らしいところで前を見ることが出来る!なんと、素晴らしい事ではありませんか!!
 大型車3011形導入に備えて、限界が拡張され、取り付けられたステップに付いた警戒ランプが既に輝いています。前照灯は点灯していないようですが、そんな夕方でした。先頭の電車は、ナンバーは見えませんが881形です。二両目は、サイドの窓の上に灯り採りの小窓が並ぶ851か861形でしょう。

(7) これは、午前中。(6)と同じ阪神国道踏切での撮影で、梅田行急行881形の905です。二両目は三扉タマゴ電車の801と思われます。


 これで、この20枚撮りの35mmフィルムに写っていた電車写真はお仕舞いです。これだけで終わっているはずは無いと思うのですが、続きと思われるフィルムが出てきません。そんな訳で、一応、これで、この旅の写真はオシマイと致します。ひょっとして、同じ時のフィルムが出てきたら、また、ブログで公開しましょう。


 来る、2月25日(月)15時から、2月27日(水)10時まで、ソネットブログのサーバーメンテナンスのため、このブログを見ることが出来ません。勿論、更新することも出来ないわけで、ちょっと、お休みと言う事になります。

 では、また!!!! 


nice!(3)  コメント(17)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

大阪の電車1976年(3) [1970年代の関西電車]


 お早う御座います。今朝も昨日に引き続き、1976年、夏の大阪です。この一本のフィルムに写っている、『淀屋橋の街頭風景』、『北大阪急行』、そして『阪神電車』のうちの最後の画像が阪神でした。
 まあ、何が何だか、事情は忘れましたが、ともかく大阪に来ています。1976年・昭和51年の8月末か9月の初めごろの撮影で、今日は、阪神電車。

 大阪の電車・1976年(3) 

 朝の大阪、梅田の地下。阪神電気鉄道株式会社は、梅田駅に来ました。時計を見ると、7時20分頃のようです。

(1) 7時過ぎと言えば、これから朝の通勤ラッシュが始まる辺り、急行電車が到着し、お客さんが降りてきますが、それ程の人数ではない。これから、ラッシュアワーのでしょう。電車は7817です。

(2) 時刻表と時計・・・・7時21分。

(3) (1)は折り返して、急行・須磨浦公園行となっています。ナンバーは隠れていますが、状況から7817でしょう

(4) 元町行きの普通電車は5274。時計は7時40分。随分あっさり、切り上げたもので、阪神の梅田での写真はこれっきり。この普通電車に乗って、次の福島駅に行ったみたいです。


 たったの4枚では寂しいので、オマケです。以前、出したような、出していないような、記憶がいい加減ですが、ホームページから・・・・。1954年・昭和29年の8月、初めての関西電車観光旅行のときに写しました。高校二年の夏でした。

(5) 待たずに乗れる阪神電車!!・・・・そんなフレーズを覚えています。881形の900です。いい姿ですね~、ほれぼれしますね~!二両目の801もタマゴ形のいい電車でありました。


 そんな訳で、今日はこれでお仕舞いです。次回は、同じ阪神電車の「福島駅」です。こっちも、たいした数はありません。


nice!(2)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

大阪の電車1976年(2) [1970年代の関西電車]


 お早う御座います。昨日から始めた「大阪の電車1976年」の第二回です。1976年・昭和51年の8月末から、9月に入った辺り、どういう経過か忘れてしまいましたが、大阪に来ています。何故か、あまり歩き回らなかったらしく、『淀屋橋の街頭風景』、『北大阪急行』、そして『阪神電車』が、一本の富士ネオパンSS・20枚撮フィルムに写っています。
 昨日は、淀屋橋の風景を御覧いただきました。で、今回は、北大阪急行電鉄・・・・・。

 大阪の電車・1976年(2) 

 大阪市営地下鉄御堂筋線の北の端、江坂駅からそのまま、路線の名称が北大阪急行電鉄に変わるわけですが、走っている電車は同じだし、そのまま乗って終点まで来ています。近年になって、千里山あたり、大開発で都市化工事。万博も行われ、急速に変化した、未来都市。私は、そんな認識であったようです。江坂~緑地公園~桃山台~千里中央・・・・この区間が第三セクター北大阪急行電鉄で、全線で5.9kmあります。

(1) 千里中央駅は、地下の食堂街の更に下になっているようで、トンカツ屋さんとか、焼肉屋さんなどが、写っています。そして、更にその下の階にホームがありまして、食堂街から眺められました。
 停まっている電車は、北大阪急行の2000で2002、あびこ行です。柱の時計は、16時55分を指しております。

(2) こっちは、相互乗り入れの大阪市営地下鉄3000で、アルミニューム車体と、ステンレス車体とある中の、ステンレスの方。3003で、あびこ行。右目が細く、ナンバープレートが付いているのも面白いつくりです。保安関係の機器があるためらしい。乗って吃驚、シートがレザーで、これは素敵だ!とドンと腰を下ろしましたら・・・・硬い!!確かに、距離は短いし、これでも良いのでしょうが、ちょっとなあ!と思ったものです。まあ、その後、柔らかなシートになって行ったようですが。北大阪急行の2000のシートは柔らかかったと聞いていますが、如何だったのか記憶がありません。

 果たして、地上に出て駅前風景を眺めたのでしょうか、一齣の風景写真もありません。そして、ひと駅大阪側に戻った、「桃山台駅」ホームに降りて居ます。


(3) 桃山台駅ホームは掘割の中にあって、日陰になって居り、光線状態としてはあまり良くなかったのです。でも、新大阪から、江坂、そしてここまで見て来て、私にはここがベストと思ったのでしょう。
 線路の両側が高速道路、まるで、私には未来都市に見えたようで、何枚も写しています。いや~、大阪の人のやる事は凄い!と驚きましたっけ・・・・。
 大阪市営地下鉄3000、アルミニューム車体の編成で千里中央行、最後部は3525。向こうが千里中央です。

(4) あびこ行が来ました。同じ3000、同じアルミ車ですが、ラインカラーと言うか、幅広の帯があります。ナンバーは3520です。帯の色は『赤』と言う事になりますか・・・・・。

(5) 桃山台駅のホーム。向こうの陸橋のところにある建物が駅舎らしく、ルーペでネガを見ると『北大阪急行 桃山台駅』と大きな文字が写っています。電車は、大阪市営地下鉄の3000で、3020です。(4)と同じ編成。

(6) 千里中央行の3000系3024アルミ車、これもラインカラーはありません。丁度、ラインカラー付きになりつつある過渡期だったのでしょうか。右のマンションの屋上が賑やかなので、ルーペで見てみました。どうも、TVのアンテナらしく、大きな2スタックの八木アンテナが8~9本も並んでいるように見えます。当時は既にテレビは共聴アンテナは普通だったし、よく判りません。別のものかもしれませんが、不思議な感じがします。

(7) あびこ行の北大阪急行の2000が来ました。角が一寸取れたステンレスで、やっぱり阪急さんが一枚噛んでいるとやる事が違うと、当時の私は思ったのでしょうか・・・・・。ナンバーは2507です。

 これで、この日写した電車はお仕舞いで、次の駒は、次回、お届けする、この日の翌朝の阪神電車になっています。

 では、また・・・・・!!!


nice!(5)  コメント(11)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

大阪の電車1976年(1) [1970年代の関西電車]


 昨日、2月15日、家人が新宿へ出まして、お土産。花園万頭の「さくら万頭」、おいしそう!!
 後で、ゆくりお茶の時間に頂こうと・・・・・春、さくらのおまんじゅうです。そういえば、以前、奈良で、お饅頭の神社の前を通りました。

 2月も半ばになり、来月下旬には桜の便り、春は直ぐそこまで来ている気分になりますね。


 さて、お饅頭のお話は、置いておいて、本題です。今回から4回に亘って「大阪の電車1976年」を書きます。大袈裟な題名の割には、北大阪急行と阪神電車しかありません。羊頭狗肉・・・・ゴメンナサイ!と最初に謝ってしまいます。
 予告編でも書きましたように、どういう状況で大阪に行ったのか、覚えていないのです。フィルムだって、探せば、この一本だけでなく、もっと有るかも知れないのですが、なにしろ、管理の下手な私、見つかりません。まあ、出てきたときには、それなりに発表いたしますが・・・・・期待は出来そうもありません。 
 ・・・・・では、行きます!!

 大阪の電車・1976年(1) 

 このフィルム、富士のネオパンSSの20枚撮りと、少々ケチっています。この心境がよく判りません。折角、大阪まで行ったんですから、愛用のコダックPlus-Xの36枚撮りと行きたいものですが・・・。ネガカバーには、現像してもらった、会社の近所の『キクヤ』の社名印刷がありますが、撮影場所、撮影年月日は書いてありません。困ったものです。途方に暮れていたら、最後の駒に、ご贔屓のプロ野球球団「阪神タイガースのポスター」が二枚写してありました・・・・・その一枚。

(1) このポスターが、このフィルムの最後の駒になっています。たぶん、阪神電車の福島駅ホームで撮ったらしく思われます。ところが、「年」が入っていません。掛布雅之選手・・・・活躍していたころ、飼っていた文鳥に『マサユキ』と名付けていたくらい、今でも、傘立て、靴・下駄箱やロッカーのナンバーはNo.31を探す私・・・・でも、ファンのくせに阪神在籍期間が判らずネットで調べました。1974年・阪神入団、そして引退・1988年だそうで、この期間に大阪に行ったのには間違いない。
 で、気が付いた。『あの日は何曜日』というHPで調べてみたわけです。掛布選手の在籍期間中、9月7日が火曜日と、ピタリと合致した年は、二回しかありませんでした。
 1976年・昭和51年と、1982年・昭和57年でありました。さらに、第四回に出てくる、ステンレスカーのジェットシルバー5201を、重ね合わせると、1976年・昭和51年の8月末から、9月のアタマだと言う事は、間違いないところでしょう。
 年月の同定に付きまして、2月21日付の、第四回に、多くの方々から、コメントでお教えいただきました。有難う御座いました。

 ・・・・で、そのフィルムの最初の5駒が、こんな街角写真でありました。電車と言えば大阪、私にとって、電車的に憧れの街。巨大な私鉄の広告看板はかなりのインパクトがあったのでしょう。今日は、こんな写真ばっかりで、電車の写真は無いのです。ご期待された方には申し訳ありません。ご勘弁ください。

(2) 淀屋橋です。淀屋橋の橋のたもとから写しています。近鉄の広告看板が凄い!!「近」の字を基にしたマークがカッコいい!!左側が土佐堀川、右の黒っぽい硝子のビルが日土地淀屋橋ビルでしょう。近鉄特急のこんな広告を見ながら、キーボードを叩いていると、頭の中で、楠トシエさんが歌い始めました・・・・『そら来た、二階ので~んしゃっ!・・・・』。

(3) (2)を、淀屋橋交差点から北を向いて、二時の方向です。地図を見ると、左にちらりと写っているのが大阪市役所のようです。TVの『日本昔ばなし』、子供たちが見ていたなあ・・・。

(4) 横断歩道を渡りながら、南を見ています。御堂筋。この頃、既に一方通行。

(5) (4)から右へカメラを振った角になります。京阪特急は当時は3000形全盛時代でした。

(6) 淀屋橋交差点から北を向いて、10時の方向。日銀の大阪支店阪急電車の大きな広告は掲げてあるビルと、鰻屋さんは、現在は道路整備で、ここには無いと、昨日、コメント書き込みをいただきました。道路も広くなり、景色もすっきりしたでしょうが、ちょっと想い出的には残念な気もしないでもありません。

 近鉄、京阪、阪急、揃い踏み絢爛豪華淀屋橋交差点でした。電車ファンとして、高校時代からの憧れの街、大阪。大感動の中、シャッターを押し続けた私だったのでしょう。


 今日は、ここまででお仕舞いに致しましょう。次回は、北大阪急行です。


nice!(6)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

70年代:関西電車-Ⅲ(補遺2) [1970年代の関西電車]

 3月17日に引き続き「70年代:関西電車-Ⅲ(補遺2)」です。沿線在住の「すが~ん様」特写の十三駅の現在の写真を、1976年当時と並べました。

 阪急十三駅の今昔 

 十三駅は高架化もされておらず、昔の面影が多少は残っている、阪急三線の大ジャンクション。そこでの、定点撮影画像集です。

■ 以下、すが~ん様のご説明(茶色・太字で表示)を引用させていただきながら、新旧の画像を並べて行きます。撮影は、現在カラー画像は2007年3月4日、過去白黒画像は1976年のたぶん6月
 このページのカラー画像は全て、すが~ん様の撮影です。


(1) 2007年: 京都線ホームの端。(2)はここの先端から撮影。現在は花壇と柵が設置され立入禁止。

(2) 1976年


(3) 2007年: 今も現役の2300系急行電車。大型の二挺パンタが素敵です。
電車先頭付近のホーム上屋と背景の跨線橋は当時と変わっていません。

(4) 1976年


(5) 2007年: 8300系急行と最新型9300系特急。往年の「阪急スタイル」からがらりと変わったイメージ。8000・8300系の初期車(この顔)もデビューから18年経つのに、自分はまだ最新型だと思ってしまいます。9300系はゴテゴテしてて、なんだか他の鉄道会社の車両のようです。JR九州あたりの電車を阪急風に仕上げたような。

(6) 2007年: 5300系急行と8300系特急。特急とはいえ3ドア・ロングシート車の運用が昔と比べると増えています。停車駅が増えたのでこちらの方が都合がよさそうではありますが。

(7) 1976年


(8) 2007年: 同じ位置から神戸線の電車を。1976年当時の800系普通電車のアングルでは撮影不可能のため若干梅田寄り。5000系リニューアル車の臨時急行です。臨時急行は通称「ウマ急」とも言われる阪神競馬開催時のみ運行の仁川→梅田直通便です。

(9) 1976年


■■ おまけ画像です。

(A) 6300系のヘッドマークは「京都線3月17日ダイヤ改正」。6300系も登場から30年余り。いまだに一線で活躍しているのはうれしい様な…。

(B) 9300系、見た目がやっぱりなじめません。乗るときれいで快適な電車なのですが。


 こうして、30年という年月の隔たった写真を並べてみますと、流石、阪急電車、貫禄だなあと思います。

・・・・・・では、また次回、お目にかかりましょう!!


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

70年代:関西電車-Ⅲ(補遺1) [1970年代の関西電車]

 14回にわたって、1976年の関西電車一日ツアーのときの写真を、お目に掛けましたが、阪急沿線在住の「すが~ん様」とおっしゃる方が、阪急神戸線塚口駅と、十三駅の『現在の定点撮影画像』を、送って下さいました。その画像と、1976年当時の画像とを、比較対象する形で、お目に掛けたいと、この記事を書き始めました。

 阪急塚口駅の今昔 

 1976年と言えば、今から30年前、まあ、十年ひと昔と云いますから30年なら昔と言っても良いでしょうね・・・・で、今昔ですが。高架化もされていない駅なので、吃驚するくらい変わっている部分と、昔の面影が残っているところが、混在しており、興味深いです。

■ 以下、すが~ん様のご説明(茶色・太字で表示)を引用させていただきながら、新旧の画像を並べて行きます。撮影は、現在画像は2007年3月4日、過去画像は1976年のたぶん6月です。
 このページのカラー画像は全て、すが~ん様が撮影されたものです。


■ 塚口も十三も、30年前から駅の雰囲気はそう変わらないようです。阪急の電車も基本スタイルは変化していないですし。

■ (1A) 西側(三宮側)の踏切を下りホームから。右側の「ダートコーヒー」の店が現存(ただし営業していない)。普通電車の5000編成はリニューアル改造車。地方第3セクターの気動車のようなお面です。貫通扉のガラスが大きいのがちょっとブサイクに思います。

(1B) 1976年

■ (2A) 上りホーム三宮方から。ホーム上屋が当時とほぼ同じ。後方のビルは「さんさんタウン(ダイエー塚口店)」というショッピングセンターで、1978年完成。駅の周辺は当時とはまったく様変わりしています。

(2B) 1976年

■ (3A) 上りホーム三宮方から、西側の踏切を。左側で当時建設中のビルはみずほ銀行(たしか元・富士銀行の店舗)。左側の踏切警報機の左の傾いた電柱は今も傾いたまま健在。看板も「質・玉井」のまま。

(3B) 1976年

■ (4A) 上りホームの梅田方。鉄製の架線柱と、白いビル(歯科医院)から定点を判断。当時と比べるとホームが延伸されています。1976年当時は国鉄福知山線手前まで線路は地平を走っていますが、現在は駅のすぐ東でスロープに変わりました(2年位前?に完成)。福知山線の西の県道が阪急をオーバーパスしていたのを取り壊し、いったん踏切にした後、阪急を仮で高架化→高架化完成という流れだったと思います。

(4B) 1976年


■ (5) 本線と伊丹線の位置関係を。「下記10両編成電車はここより梅田方にとまります」の時刻表看板から、10両対応のためにホーム延伸されたとわかります(時期は???)。3081は、(6)の3080とともに、伊丹線で現在も活躍中の行先板使用車。

■ (6) 3080。ホームより伊丹方を。なんでもここは阪急の路線一の急カーブだそうです。

■ 阪急塚口駅は高架化や橋上化されていないため、30年前とあまり雰囲気が変わっていないのでしょうね。


■  以上で塚口駅、今昔物語はお終いです。近々、すが~ん様のご提供になる現在画像とともに、十三駅今昔編をお送りできる筈です。

 すが~ん様に、ここで御礼申し上げます。


・・・・・・・、では、今回はこれで!!!

 


nice!(0)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

70年代:関西電車-Ⅱ(14終) [1970年代の関西電車]

■ 推定、1976年(昭和51年)6月あたりの関西電車旅のお話も今日でお仕舞いです。

 大阪、たぶん難波のビジネスホテルを朝の7時台に出て、大阪地下鉄~梅田~阪神電車~西宮~今津駅~阪急電車~西宮北口~阪急神戸線・塚口駅~十三~阪急京都線~京都・河原町~たぶん市電で京都駅~おそらく近鉄京都線~大和西大寺~近鉄奈良線~生駒で一寸降りてまた奈良線で、難波まで来ています。これから近鉄経由で東京に戻ります。

 今日のスタートは「近鉄難波駅」です。

■■ 近鉄特急で名古屋 ■■

 難波からは近鉄特急で名古屋経由、新幹線ルートが、当時の私の帰京コースの定番でありました。今回も、名阪ノンストップ特急。ちょっぴり残る記憶は、ビスタカーⅡの二階席。
 「パパの電車は近鉄で・・・・」の、楠トシエさんの歌う、三木鶏郎作詞作曲のCMソングは、いまでも一番なら唄えるくらい好きな歌。JASRACカンケイもあって歌詞全部は書けませんが・・・・。
 1959年、颯爽とデビューしたビスタカーⅡ、10100系は、私にとって憧れの電車。新婚旅行の時だって乗っちゃったくらい好き。その後、何度も乗っております。この時も乗ったみたいです。

 だけど、今回、ろくな写真が有りません、しかも、二枚っきり。

(1) ビスタカーⅡが停まっています。お客さんを乗せ出発寸前の様子。これに乗ったのかどうか・・・・不明。志摩特急だったのかもしれないし・・・・。と、云うのは次ぎの(2)の写真もビスタカーⅡで、難波駅なのは間違い無さそうですが、撮影場所が違います。

(2) まあ、昔の話なので、何にも覚えていませんが、(1)の左側に電車の端っこが写ってますが、その電車の反対側らしい。車両の右の方、向こうに人が写ってますが、(1)の人物(白いワンピースの女性、ほか)と同じようにも見えます。

■ 時刻関係の判る時計などが写っていませんので、何時ごろかはわかりません。しかし、暗くなって近鉄に乗る意味も無く、明るいうちに名古屋まで、沿線の景色を楽しみながら乗ったことでしょう。

 まあ、たぶんビスタカーⅡで無事、名古屋着。名古屋駅ホームでの写真が最後の駒になっています。

(3) 近鉄名古屋駅ホームで発車を待つ鳥羽行き急行、2610系ク2710形2725です。4ドアクロスシート車で、当時、好きだった記憶もあります。

■ 今回は、あんまり良い写真がありません。これ以後は、別段、変わった事も無く、新幹線で東京に戻ったようです。


 14回にわたってお送りした関西電車の旅のルポも、今回でお仕舞いです。また、明日からは、別の話題をお送り致しますので、また、覗きに来てください。 


nice!(0)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

70年代:関西電車-Ⅱ(14) [1970年代の関西電車]

■ 多分、1976年(昭和51年)6月あたりと推定される頃の、関西の私鉄電車ツアー、お話は続きます。

 朝の7時台に大阪地下鉄からスタートし~阪神で西宮駅、これが8時20分頃~今津駅に戻り~阪急今津線で西宮北口、9時10分頃~阪急神戸線・塚口駅で下車、撮影~十三で撮影後~阪急京都線で、京都・河原町~たぶん市電で京都駅~これも推定ですが近鉄京都線で大和西大寺駅に来たのが、12時半頃のようです。半日で、ここまで回って来ちゃったのです。む~さんも40歳前だったから、元気なものです。いまでは考えられませんね。(笑)

 今日は、大和西大寺駅の続編からのスタートです。

■■ 近鉄・大和西大寺駅(下) ■■

(1) 橿原線でしょうか・・・・1955年の登場した800系、瑞西の電車風のサイドを持つスマートな電車でしたが、わたし的には、お顔がちょっと・・・・でしたが、初めてこの電車の奈良線特急に乗った時には少々興奮しました。モ801ほか4連。この頃の大和西大寺駅は、現在とはホームの構造が違うようです。

(2) 820系の2連。わたしは非貫通・変形湘南タイプのモ800系よりも、貫通タイプの、この形式の方が好きでしたね。モ828の相棒はク728でしょうか・・・・。

(3) 快速急行・難波行き、8610を先頭に8600系の到着です。む~さんは、これに乗ったのだと思われます。ホームの時計は12時45分です。5時間余りをかけて、ぐるりと回ってここまで来ました。

(4) お次の下車駅は、近鉄生駒線乗換えの生駒駅。王寺行きの820系ク724+モ824が発車を待っておりました。

(5) 王寺に向けて発車して行く820系電車。スマートで可愛らしい電車だなあと思います。確か、ここにはデボ1→モ200が居た筈で、その頃、乗ってみたかったですね。


■ お次の駒は、いきなり、難波駅ホーム。まあ、次ぎの急行か何かで、生駒のトンネルをくぐり、大阪、難波駅まで行ったのでしょう。

■ 次回で、このシリーズもお仕舞いになります。また、次ぎの企画をしなくてはなりません。ま、頑張ってフィルム探しを致しましょう。


nice!(0)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

70年代:関西電車-Ⅱ(13) [1970年代の関西電車]

■ 多分、1976年(昭和51年)6月あたりと推定される頃の、関西の私鉄電車のお話は続きます。

 京都の四条河原町交叉点で、市電・市バスを何枚か撮影の後、画像は、途中の画像、一切無しで奈良県の近鉄「大和西大寺駅」に飛びます。

■■ 近鉄・大和西大寺駅(上) ■■

■ 京都市電はお仕舞いにして、フィルムの次ぎの駒は、いきなり近鉄の大和西大寺駅のホームに飛んでいます。これでは、何に乗って行ったかも判りません。まあ、順当なところ、市電で京都駅前~近鉄京都線で、西大寺でしょうね。

(1) 奈良方面行きホームの先端から写しています。たぶん、京都からの電車から降りてすぐなのでしょう。900系の二両編成(先頭904)が写っています。車掌さんらしき白いシャツが見えますので、どうやら橿原線電車の出発らしい。

 車庫もある所為でしょうが、標準軌のレールが複雑に織り成すパターンは、英国辺りのジャンクションを思わせます。

(2) 普通電車・奈良行きが奈良へ向います。8600系の4連で、一番後ろは8610。

(3) 奈良から京都行きの特急が到着しました。懐かしのミニスナックカー18400系二両の後ろに18200系の二両が付いている、小型特急車の4連です。18400は複電圧車で、京都線~橿原線で、大和八木から大阪線に乗り入れ賢島に至る運用に用いる為に作られたような記憶があります。限界の関係で小型ですが、ちゃんとスナックコーナーも付いており、座席に取り寄せたカレーライスを食ってみたかった気もします。

(4) (3)と同じ列車が、西大寺駅に停車中です。18200系、18400系も含めて、この系列は、制御車にもパンタグラフが付いています。

(5) 「この項、読者さんからのコメントで少々修正」: 80008600系通勤車8101に後から取り付けられたの方向幕装置。8600系も、このタイプなので、8600系は後付けではないかもしれませんが、この装置、私はかなり好きで、当時も好きだったらしく、クロースアップで撮っています。お隣の電車は(4)の特急車らしく思われます。(とんだ思い違いで済みません)

(6) 今の私では、階段を駆け上がり、駆け下りるなんて、とても出来ませんが、当時は40歳前、若かった私、慌ててとなりのホームに走ったらしく、(5)の電車です。
 割とのんびり発車待ちをしていたらしく思われますが、橿原線接続の関係かもしれません。現在の警戒色塗装でなかった時代の色って、濃緑色時代の方が好きでしたが、最新の車両に、このカラー、結構好きですよ。


■ 同じようなシーンですが、大和西大寺駅での写真は、明日も続きます


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

70年代:関西電車-Ⅱ(12) [1970年代の関西電車]

■ 1976年+(0~2年)くらいの・・・・いや、多分、1976年6月あたりと推定される頃の、関西の私鉄電車のお話です。

■ 阪急電車・十三駅から、特急・・・・おそらく6300系・・・・に乗って京都は河原町駅に到着しました。地上に出れば、「四条河原町の交叉点」で、私は、四枚の写真を写しております。

■■ 京都・四条河原町:市電と市バス ■■

 四条河原町の交叉点付近で写した四枚の写真。今回は「京都市電・市バス」です。

(1) 四条河原町交叉点の南側から北を見ています。四条河原町交叉点の信号も写ってますね。電車は2600形の2612、『5系統』で、行き先は『京都駅』。

■ 『5系統』は、調べて見ましたら、京都駅前~塩小路高倉~洛北高校前~烏丸車庫前~千本北大路~四条大宮~九条大宮と、なっています。随分長い路線みたいに感じます。この1976年当時、この路線、全線運行されていたのかどうか、わかりません。なにしろ、全線廃止が1978年(昭和53年)との事なので・・・・・。

(2) 同じ、2612が、段々、近づいてきます。

(3) 変わって、こんどは、四条大宮 四条河原町交叉点から南方面。200系統・錦林車庫行きの市バス。

(4) 京都市バスというと、1954年・昭和29年の8月、京都、三条京阪前で移した、市バスを思い出しましたので、写真を一枚。この頃から、薄い草色に濃緑色の帯だったのでしょうか・・・・私の記憶の中の市バスは、白色ボディに濃緑色の帯なのです。ご記憶の方がいらっしゃいましたら、お教え下さい。
 昭和29年ともなりますと、ナンバープレートのフォーマットが全然、今と違いますね。(方向幕もありませんね!!)

 左端に電車の車体がちょっぴり写ってますが、これは、『京阪・60形・びわこ号のNo.62』です。

(5) 再び、市電。ところが、この電車、先ほどの2612です。烏丸車庫行き。さっきの2612が京都駅前まで行って戻ってきたのでしょう。京都駅まで、個々から約2.5キロ。往復なら5kmですから、そんなには早く戻って来れるのかしら・・・・・。それとも、この間に、私、昼飯でも済ませたのでしょうか・・・・まるっきり、記憶がありません。まあ、メモ無しの30年も昔の事ですからね、はっきり記憶していたら、自分自身がちょっと怖いですね。


■ そんな訳で、これで、京都市電はお仕舞い。・・・・で、フィルムの次ぎの駒は、いきなり近鉄西大寺駅のホームに飛んでいます。これでは、何に乗って行ったかも判りません。まあ、順当なところ、市電で京都駅前~近鉄京都線で、西大寺でしょうね。ひょっとして、特急くらいは、張込んだかもしれません。京阪・四条~丹波橋~近鉄のルートとか、国鉄奈良線のコースは、無いと思われます。

■ では、また明日!!!


nice!(0)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行
前の10件 | - 1970年代の関西電車 ブログトップ