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のどかな時代(3):伊豆箱根鉄道軌道線・昭和37年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 伊豆箱根鉄道軌道線は同鉄道の駿豆線の三島町駅から沼津駅前までの6.5kmほどを結ぶ路面電車でしたが、駿豆線の昇圧や、台風で黄瀬川橋梁が落ちたりしたため、1962年・昭和37年1月、鉄道ファンの友人たちと乗りに行ったときには、駿豆線・三島広小路駅前から、黄瀬川手前の国立病院前までの2.4kmほどになり、国立病院前から沼津までは、バス連絡となって居りました。電車はほぼ旧東海道を併用軌道で走って居たようです。
 その時に撮影した写真と、翌・昭和38年の廃止寸前に訪問した時の写真から9枚ほど選んでご覧頂きます。

■■■ のどかな時代(3) ■■■

■■■ 伊豆箱根鉄道軌道線・昭和37年 ■■■

pen-para.gif 昭和37年1月、三島広小路から国立病院前まで乗車し、公立病院前電停に近い長澤の車庫を見学してから、連絡バスで沼津まで、行きました。

(1)駿豆線・三島広小路駅前:軌道線の電車が発車を待っています。
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(2)(1)の204の車内です。
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(3)発車した204はすぐに直角に曲がって「旧東海道」をゆきます。広小路通という、ちょっと賑やかな通りです。
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(4)三島広小路駅すぐの(3)の場所は2003年に行ってみました。右から三軒目が文具屋さんになってますが、お店の方に伺いましたら、(3)の「三菱鉛筆」の看板のお店と同じでした。
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(5)電車は西へ進みます。三島広小路からそんなには離れてはいないようです。
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(6)これは昭和38年1月の撮影で、「玉井寺前」で交換が行われている場面。道路は未舗装です。
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(7)(6)の電車まわりを拡大してみました。路面や線路状態が分ります。
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(8)これも、昭和38年1月の撮影。旧街道を行く電車って感じですね。
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(9)国立病院前で電車は折り返して三島広小路に戻ります。近くに長澤車庫があります。
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(10)連絡バスに乗って沼津駅前まで行きました。立派な屋根付きの駅には、戻れなくなった電車が二両。左のバスが連絡バス。
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coffee.gif 10枚の写真と、下手な文章で、あの頃の当鉄道を表現することが出来ません。申し訳ない事です。
 私のホームページ「む~さんの鉄道風景」で、写真をもっと大きくして、数も多めにして伊豆箱根鉄道軌道線を紹介して居ますのでご覧ください。

(1)昭和37年版
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link103-izuhakokidou6201.html

(2)昭和38年版
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link021.html

では、また次回!!!!!


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コメント 5

のり

こんな個性的な路面電車は日本中にあったはずです。
生き残ることができなかった「時代」が悔しいですね。
見せかけの「豊かさ」の代償として失ったものは大きすぎるような気がするのは、自分自身が年を重ねて懐古趣味になったせいなのでしょうか。

いま、各地でLRTの効用について議論されています。
既存の路面電車も活用次第で活性化されることは、富山や高岡の実例が示してくれていますが、一度無くしてしまったものをもう一度…というのは、極めて困難だと思います。その証拠に、有効性が議論されていても、実際に建設が実行されているところは皆無です。
阪堺電車でさえ、恵美須町・住吉間の存続が危惧されているほどです。
路面電車が本当に街の顔になるのは、並大抵のことではないのでしょうね。
by のり (2014-12-29 23:30) 

あさま55号

こんばんは。
びっくりしました。実は今日昼に三島広小路に行って来ました。目的は、うなぎを食べに行くためでした。
車がないので、藤沢まで行き東海道線で熱海で乗り換え三島に行き駿豆線で広小路に向かいました。
久々に広小路に行きました。6年ぶりでしょうか。昔、沼津・三島に出張に行くと広小路界隈に泊まっていました。
元はうなよしという名前だったお店でうなぎ食べてきました。食べてから三嶋大社にお参りして沼津の4月にオープンしたホテルに泊まっております。
あの広小路を路面電車が走っていたとは知りませんでした。
三嶋大社に向かう通りが電車線があったところなのかなと思いますが、ヤオハンもなくなっていたりで変わったなと思いました。明日は、寿司でも食べて帰ろうかと考えております。
駿豆線のテープカッターを買いました。
by あさま55号 (2014-12-30 00:02) 

Cedar

秋葉線に続く素敵な町並みと電車の姿です。
前回のコメントリプライにあった部分伸ばし、勝手にやらせていただいて楽しんでいます。
現代の町並みにはそんな楽しみが見つけ難いですね。
by Cedar (2014-12-30 07:32) 

伊豆之国

「ご当地」の路線ではあるのですが、私が物心付いた頃には既に消えていて、観光地図やガイドブックにも表示されなくなっていた時期になっていたので、「三島と沼津の間に路面電車が走っていた」ということを知ったのはだいぶ後になってからでした。あるとき別の(少し古い)観光地図を見たことがあって、その三島と沼津を結ぶ「謎の路線」が書かれていて、それが後になって「伊豆箱根鉄道軌道線」という路面電車があったということを知ったのでした。
この軌道線は、昭和9年に東海道線が今の熱海廻りになる以前は、御殿場線の「下土狩」駅が三島駅を名乗っており、この駅が市街地から遠かった(現在も三島市外)ために、先にできた「豆相鉄道」(現在の駿豆線)に接続して、沼津とを結ぶ路線として旧東海道上を走る路線として開業したという経緯があるそうです。駿豆線は、この昭和9年の新・三島駅開業と同時に路線が付け替えられ、三島広小路から旧・三島改め下土狩への路線は廃線となっていますが、線路敷きの一部は今も道路として残っているようです。
かつて軌道線が通っていたルートは、昭和46年頃だったか、当時あった、父の実家に近い堂ヶ島から沼津への高速船で沼津港に着き、そこからバスで沼津に出て、入院していた祖母のお見舞いをした後、三嶋大社までそのバスに乗った記憶があります。軌道線の後身ともいえる三島と沼津を結ぶバスは、現在も頻繁運転されているようです。
…それこそ本当の「蛇足」ですが、沼津港から乗ったバスの車窓から、貨物線らしきレールと踏切が見え、後になってそれがその3年後に廃線になった、通称「蛇松(じゃまつ)線」と呼ばれていた国鉄の貨物線だったことを知ったのでした。
by 伊豆之国 (2014-12-30 14:10) 

む〜さん

■■ のり様:
 洪水の所為で橋が落ち、そのまま廃止ということのようですが、いま線路後の道路を車で走ってみると、交通量も少なく、路面電車と共生できそうな気もします。しかし、肝心の沼津の町が、なんとなく活気がなく、単線では将来性がなさそうだし、道路は狭いし、廃止・バス化も止むを得ないのかなあとも思います。
 路面電車は西日本に比較的、残っているケースが多いのはなぜなのでしょう?
■■ あさま55号様:
 ほんとに偶然ですね!三島大社に参拝したのは、あの3.11の年でした。湧き水の多い街だそうですが、その湧き水の量が減っているという話も聞いたことがあります。
 お寿司は沼津港ですか?きっと美味しかったのでしょうね。
■■ Cedar様:
 この道路はほとんどが「旧・東海道」なんだそうです。江戸の昔、旅人が歩いた道だと思うと、感慨ですね。
■■ 伊豆之国様:
 沼津港への貨物線はGoogleの航空写真を見ると、遊歩道化しているらしく、沼津駅~沼津港のルートを概略、たどる事ができますね。ストリートビューで見てみましたら、「蛇松緑道」という、交差点がありました。
 私の幼かった頃、東海道本線は沼津までしか電化されていませんでした。ここから西は、蒸気機関車に代わるのです。そんな切り替え駅でした。

■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ フジトモ様:
 「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2015-01-01 01:36) 

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