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相模線橋本駅1964年 [国鉄1960年代]

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pen-pc.gif 時間経過が矢鱈と早い。40歳過ぎあたりから、体感時間経過が早くなり始め、50歳60歳70歳と段々早くなって、一寸前にお正月、もう直に紅白歌合戦です。ホントに、ヤになってしまいます。まあ、愚痴っても始まりませんが・・・・・。
 そんな訳で、ブログ更新が終わったと思ったら、もう三日経っています。ネタも切れてしまったので、昔の写真データをかき回していたら、昭和39年・・・東京オリンピックの年ですね・・・の1月、相模線を撮りに行ったときのデータが有りました。その中から三駒。
 たしか、以前、このブログに出したような気もしますが、ブログ内検索してもよく判らない。まあ、ダブっちゃったら、む~さんも、愈々、トシだなあと言うことで・・・・・。(まあ、少なくとも、最初の一駒は始めてのアップです)

■■■ 国鉄相模線・橋本駅 1964年 ■■■

pen-para.gif 1964年1月、鉄道好きの友人たちと、相模線の撮影。どんなコースで言ったのか覚えていないけれど、ともかく、橋本駅の相模線ホームに、やってきました。

(1) 橋本行の気動車が到着、折り返し、茅ヶ崎行になる・・・・筈。貨車も沢山並んでおります。貨車の牽引は勿論、蒸気機関車で、横浜線=C58、相模線=C11。
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(2) (1)の気動車の部分を拡大してみました。向こう側がキハ20、こっち側がキハ17。
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(3) (1)から180度振り返ると、こんなホーム風景。の気動車が停車しています。キハ20211です。
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(4) ホーム上屋の妻面の部分を拡大してみましょう。相模線と横浜線のホーム案内板の上、電灯線の配線方式も懐かしい。
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(5) 桜木町行の横浜線電車が到着。あまり好きではなかったモハ73も、50年近い年月が経ってから見ると、懐かしいなあ!と、思います。
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(6) クハ79の顔をクロースアップしました。
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coffee_doutor.gif 今日のブログは、これでお終いです。また、次回!!!!


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たらこっち

相模線と言えば、厚木の自動車輸送と思い、どこかで写真を見たような??と思ってググったら、今年の初めにむ~さん様がブログでアップされていたのでした(笑)

私も40代になり、時間の経過が矢鱈早くなってると感じてます。私もついこの前まで、大学生だったような気がしたのですが…。

by たらこっち (2011-09-29 21:28) 

む〜さん

■■ たらこっち様:
 そうそう、まだ幼かった長男(今、40代半ば)と厚木の自動車積込場を眺めに行った時のブログでしたね。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2011-01-07
 見終わってから、新幹線を見て、大船モノレールまで回ってしまいました。あの頃は、もう、元気元気でしたっけ(笑)。

by む〜さん (2011-09-29 21:52) 

manamana

自分が乗ったのは昭和40年代50年代ですが、
キハ17も確か乗ったはず。
なんだか懐かしくなってきました。
元優等車の回転リクライニングシートの車両に乗ったとき、
とても幸せな気分でしたが、
全開の窓から入ってくる養豚場のいい匂いにむせたり、
楽しかった思い出が溢れ出てきます。
by manamana (2011-09-29 23:12) 

利きゅう

キハ20と連結するとキハ17の低さが際立ちますね、私が乗った頃はもうタラコ色のキハ30・35オンリーの時代でした。

昭和59年、幼稚園の時に乗りに連れて行ってもらいました。
当時、まだ茅ヶ崎にしかなかった「ダイクマ」に家族で買い物に行くと自動車で相模線をオーバークロスするので早い時期から相模線のことは知っていたのです。
勿論キハ30・35に乗ったのも相模線が初めてでした。子供にはホームと列車の段差がキツかったですねぇ。
沿線は正直、延々と何の変哲もない風景なので途中から飽きて来た思い出があります。

そういえば、電化されてからは乗ってなかったなぁ・・・。
by 利きゅう (2011-09-30 00:12) 

mymeな大家

こんにちは。
私の場合相模線といいますと、キハ35を思い出すのですが、以前は10系、20系も走っていたのですね。
73系も数回しか乗ったことがありません。1964年ですと根岸線は大船開通しているのでしょうか。
では失礼します。

by mymeな大家 (2011-09-30 00:54) 

naganaga

ご無沙汰しております。
昭和50年代によく乗りましたが
17・20系が主体でした。
当時、茅ヶ崎-寒川間で利用していましたが
朝夕はすごいラッシュで2ドアでは乗り降りが
大変だったのを覚えています。
北茅ヶ崎からの日本製麦の引き込み線も
電化と共に無くなってしまいましたし、
海老名駅の周辺も開発が始まるみたいですね。
あのあたり風景が一変してしまうのでしょうか。
by naganaga (2011-09-30 03:33) 

む〜さん

■■ manamana様:
 昭和40年代末辺りキハ26・・・・キロ25の降格・・・・居ました。息子と乗りにいったんですが、編成の中でキロ25ともう一両が、回送扱いになっていて、乗れず、子供がガッカリしていた(私も)思い出もあります。
 当時の相模線沿線は農業地帯で、田畑に畜舎、たっぷり見ることが出来ました。いまでもかなり残っていますが・・・。
■■ 利きゅう様:
 キハ30のファミリー・・・・我が家の近所では相模線と八高線を席巻しておりました。しかも、タラコ色っていうんですか・・・・あの、ベタ、赤っぽい色で、相模線の一番悪かった(趣味的に)時代でした。それが、電化と同時に、モハ205の相模線Verになり、エアコンもつき、一気に快適になりました。たいして時間は掛かりません、京王電車と掛け持ちにして、是非一度、お越しください。
■■ mymeな大家様:
根岸線の根岸延長は1964年・・・この年でありました。モハ60も交えて、モハ73一党の時代でありました。何時の事だったか忘れましたが、何処かのお古のモハ103が威張っていたのですが、あっという間に、快適なモハ205になりました。山手線のお古も居たそうですが・・・。いまでも、205オンリーです。まだまだ使えそうです。
 相模線といえばキハ30の時代がありました。私が最初に相模線に乗った昭和31年には、キハ41300が走っていて、のどかなものでした。いまは、モハ205・相模線仕様になって居ますが、のんびりした空気は変わらない気がします。
■■ naganaga様:
 キハ17などの2ドア車は、大ラッシュには不向きでしょうね。もともと、関西本線の大阪近辺での通勤輸送用に投入されたと聞きます。
 北茅ヶ崎は、いろいろな工場が建ち並んでいました。人と、貨物の輸送に大変だったのでしょうね。厚木の自動車輸送、米軍燃料、蒸気機関車、ディーゼル機関車の出番も多かったようです。それが、今や20m4ドアの4連になってます。その変わりようには吃驚します。
 
by む〜さん (2011-09-30 20:54) 

micchama

橋本駅の73系のサボですが、京浜東北のサボと色抜きが反対ですね。
京浜東北への乗り入れで混同しないようにしていたのでしょうか。
このサボの扱いですが、終点に着くと、駅員がパっと飛び乗って、次のサボを選び出して入れ替えるのですが、かっこよかったなあ。
あの当時は、サボが電車の前と後ろにしかなくて、入ってくる電車のまえのサボを見るのに覗き込むようにしていました。
今とは雲泥の差ですね。
考えてみると怖いことやっていたのですね。
by micchama (2011-10-01 04:55) 

む〜さん

■■ micchama様:
 京浜東北と横浜線のサボが、ネガポジ関係だったとは気づきませんでした。それと、白黒写真で撮っていると、だんだん、『色』が判らなくなってきます。何時も御馴染みだった、「A鉄道のB形式の、C年ごろの色」が思い出せなくなって居ます。特に微妙な辺りがダメですね。
 乗務員さんの、サボ差し替え作業、駅風景として、普通でしたが、いまでは、段々、ロール式方向幕→発光ダイオード表示になり、電車の表情も変わりました。
by む〜さん (2011-10-01 10:59) 

津沢

む~さん様、おはようございます   津沢です

国鉄相模線に初めて乗ったのが、1964年の11月でした。
茅ヶ崎の叔父を訪ね「変わったルートで帰ってみよう」という父の発案で、家族で乗りました。アッというまにつるべ落としの日が暮れて景色は全くわからず、キハ17の薄暗い室内で、当時の子供にも小さすぎる椅子でお尻も痛くなり、すっかり気が滅入りました。橋本にたどり着いたときは構内の照明もまぶしく、横浜線のモハ60が(こちらの方が古いのですが)きわめて現代的で快適でした。
by 津沢 (2011-10-01 11:29) 

む〜さん

■■ 津沢様:
 1964年といいますと、まだ、キハ17、キハ20が活躍していた頃ですね。翌年にはキハ30が入ってきたそうですから、まだまだ良い時代でした。キハ17は確かに液体式初期のものですが、キハ30よりはマシかなあと思っています。通勤輸送には向きませんけれど。
 横浜線は、モハ60とモハ73の天下でした。いまの205系8連と違って普通は4連で、さらに単線でしたから、運転間隔も長かったのです。流石に自動閉塞では有りましたが。
by む〜さん (2011-10-01 13:41) 

Ryo

 自分の記憶の相模線はほとんどキハ30・35ですが、わずかに20系の姿があったように思います。まだ西寒川支線がかろうじて1日1往復だか2往復だか、残っていました。「かっぱ号」という茅ヶ崎~八王子の海水浴列車もあってわざわざ乗りに行ったりしましたが、落ち葉でスリップするなどと言われていたのどかな線区にまさか新型の電車が走るようになるとは思いませんでした。八高線の電化時に103系3000番台などという変種が入ったのと比べるとびっくりというほかはありません。
 クハ79・・・「原型」と言われるのはこの写真のタイプのことでしょうか。こう見るといかにも戦時設計そのまま・・・(笑)。しかしながら、木製の三段窓、この台車の形や音はたまりません。何年か前、大井川鉄道でオハ35に乗る機会がありましたが、電車ではないものの同じ雰囲気を味わった気がしました。
by Ryo (2011-10-02 00:09) 

む〜さん

■■ Ryo様:
 西寒川・・・ありましたね。支線。いま30半ばの次男が、国鉄の「いい旅チャレンジ2万キロ」キャンペーンに参加していて、付き合いで、西寒川まで乗りました。あれは、1980年代でしたから、25年ほど昔のことです。
 キハ30などの通勤型気動車ばかりで、なんとなく魅力に乏しい感じでした。
 それが、電化と同時に一気に当時最新の205系・・・・しかも、相模線仕様・・・・になって吃驚でした。
 オハ35・・・・昭和30年代の東海道本線の各停というと、オハ35と、スハ32でした。懐かしいなあ。
 73ファミリーの三段窓は私が小学生時代、「63形」からでしたね。子供が顔を出す事も出来ない小さな開口部の窓でした。のちに安全ため開口部が大きくなりましたが・・・・。

■■♪♪ しまりす様:
■■♪♪ けーすけ様:
■■♪♪ 紺屋様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-10-02 20:56) 

Cedar

私が初めて相模線に乗ったのもこのころだったと思います。というのもこのお写真を見ていてつながらない写真の記憶が一気によみがえったのです!
父と一緒に京王線で東八王子、その後八王子から横浜線で橋本~相模線に乗り換えて茅ヶ崎へ、東海道線で帰った時のことを思い出しました。ありがとうございます~
というわけで、都電町屋に続き、この記事のアンサーでヒトネタ記事を近々Upいたします。
by Cedar (2011-10-02 22:59) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 お父様とご一緒のツアー、なかなか魅力的なコースでしたね。まだ、ローカルカラー満点だった頃で、車両、車内、車窓風景・・・・どれをとっても『旅気分充分』だったですね。
 Cedar様の見た相模線、楽しみにして居ります。
by む〜さん (2011-10-03 09:21) 

かさご

こんにちは はじめまして、実は読売新聞の門脇新聞店版という新聞にむーさんの鉄道風景を発見しました、私は上溝在住のいい年の親父です、上溝周辺の畑の様子を見てとっても懐かしくてお便りをいたしました、
貴重な写真を見せていただきありがとうございます、
また感謝申し上げます、
番田駅の駅舎はむーさんが撮影した当時とは全く違う景色なっています、(当たり前です)昭和30年代の様子だとおもいます、
ちょくちょく 寄らせていただきます、
ありがとうございました、
by かさご (2011-10-05 15:56) 

む〜さん

■■ かさご様:
 初めまして!コメント有難う御座います。上溝駅は近年、とても綺麗になりましたね。私は週に一回は、横山の「さがみはらグリーンプール」に行って居ります。泳がずに歩いているだけですが(笑)。
 番田駅は吃驚するくらい変わりましたね。しかし、お稲荷さんは以前と同じ場所にちゃんとあって、嬉しかったです。こちらに、今昔の比較写真があります。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2010-03-28
 今後とも、時々、覗きに来て下さいね。
by む〜さん (2011-10-05 23:15) 

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