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HP更新:常磐線で土浦へ1960 [管理人から]

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 ホームページ「む~さんの鉄道風景」で、2002年4月に発表し、その後、ホームページサーバーの規定容量超過とか移転とか、色々あったので削除してしまったページに「常磐線1960年6月」というのがあったのです。1960年・昭和35年の6月、早朝に上野を出る蒸気機関車牽引の各駅停車で、土浦まで行ったときの写真を並べたものでした。

 このほど、急に思いついて、再登場させることに致しました画像を今のネット状況にあわせて大型化した事は言うまでもありません。

pen-rei2.gif 題して「常磐線1960年6月」。上野駅、土浦駅での写真を中心にまとめました。

 こんな写真を並べました。この写真は横幅480pixelですが、ホームページには、横幅700pixelの大型画像を多めに入れましたので、風景的な画像など、見栄えも良いのではないかと思います。

(1) 上野駅・・・・到着した急行列車は、尾久に回送されてゆきます。
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(2) 取手駅・・・・右は常総筑波鉄道(今の関東鉄道常総線)
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(3) 土浦駅・・・・・煙を残して客車列車が遠ざかる。
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pen-para.gif このホームページ「む~さんの鉄道風景」は下のアイコンをクリックすると別の窓が開いて、ご覧になることが出来ます。
 お時間が御座いましたら是非ご覧頂きたく思って居ります。

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タグ:常磐線
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コメント 16

じろっち

常総線って、昔は常磐線の隣りだったんですか!
霞ヶ浦汽船もあったとは!

良くも悪くも霞ヶ浦湖畔は土浦以外はたいした開発がありませんねえ。
アメリカの5大湖みたいに、霞ヶ浦を交通手段として湖畔を開発しても良いんじゃないかと思うんですが・・・

昨日は幕張メッセ開門の時刻を間違え、時間を持て余したので、海浜幕張から特急で南房総に行こうか、と思ったんですが、運賃がローカル線扱いなのか高額なので、幕張の街を散策しました。

海浜幕張駅付近は、驚くほどお食事処が多く、食いしん坊には危険な街です(笑い)
私は駅南口のビルの中にある居酒屋で食事をしました。
昭和30年代で装飾した店でしたよ!
同じ建物にあるロッテリアには、オリオンズ時代のロッテ球団の球団旗が展示されていて、懐かしかったです。

戸塚でE233系のアクティに会いました。
E233系のアクティって、前からありましたっけ?
by じろっち (2010-01-16 05:32) 

じろっち

上野からの推進運転って、ずいぶんアバウトな対応だったんですねえ。

事故は無かったようですが、鉄人28号のコントローラーのような箱を床に置いて・・・で、良かったんですかねえ?

ホームごとに機回し線を設置すると駅が大きくなってしまうし・・・
何故、櫛型ホームを採用したのか謎ですね。

総武快速線のNEX用通過線は、上下線共通でしょうか?
快速線と各駅の間に通過線が1本しか無いので、気になりました。
by じろっち (2010-01-16 05:39) 

じろっち

私が鉄道写真少年だった頃、写真の列車と同じスジの列車で我孫子まで行ったことがあります。
当時の機関車は、EF10だったと思いますが、見にいかなかったので、実際は不明です。
我孫子で降りたのも、検札対策だったようです。
当時の私は、連れていかれるだけだったので、検札が何なのかも理解していなかったんだと思います。
運転士に頼めば後方側デッキに居ることも出来たようで・・・
客も関係者も緩い?時代でした。
by じろっち (2010-01-16 05:53) 

manamana

何気なく撮られた写真だと思いますが、
時間が宝物に変えてくれますね。
ホームページは、休日にゆっくり拝見させていただきます。
by manamana (2010-01-16 06:37) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 霞ヶ浦を船でのんびり東へ行くなんて良い航路がありました。もっとも、水郷地帯は道路の整備が進んでいなかったので、大小の船による航路網が発達していました。道路が整備されてゆくにつれて、消えて行きました。
 海浜幕張駅はビジネス街ですから退社後のお楽しみがらみで食のお店も多いのでしょうね。
 上野~尾久間は5kmもありませんし、踏み切りもありません(一箇所あった気もする)ので、なんとかやれたのでしょう。たしか、上野駅構内にターンテーブルもあった気もします。
 常磐線の客車牽引は電化後は、いきなり交直流機関車になりましたので、EF10はなかったと思います。
■■ manamana様:
 大卒初任給以下で買えたフィルムコスト半減のオリンパスペンを卒業祝いに父から貰いまして、撮りまくりました。そんなメモ写真が後になって良い記録になりました。しかし、このフィルムのディジタル化後、約10年、フィルムは超カーリングで、ゴミと化しました。嗚呼!!!!一応、スキャナで処理したものの80パーセントは残りましたが、それ以外の大多数はみんなアウト!です。
by む〜さん (2010-01-16 10:57) 

Cedar

上野~尾久間の推進運転、懐かしいですね。あの扱いを部内で「ラッパ」とよんでいたらしいですが、お写真を拝見して意味が判った気がいたします。(補助警笛の音は何度か聴きましたが、頼りない音だったですね)
客レが多かった時代には日常的でしたが気がつけば絶滅寸前!『カシオペア』の回送風景を撮りに行かないといけませんね。

1960年といえば私は小学生でした、金町に親戚の家があって電車にはよく乗りました。常磐線は電車・気動車・SL旅客・貨物が複線を入り乱れて走っていて、子供心にも色々いるなあ、と思っていました。江戸川の鉄橋を渡る常磐線を見るのが好きでした。「はつかり」がブルーの44系客車からキハ81に変わったのも記憶に残っています。

by Cedar (2010-01-16 12:14) 

ファジー

ホームページも拝見しました。このように素晴らしい写真の数々を目にすることができて、とても幸せです。ありがとうございます。
私が土浦駅に立ったのが昭和53年でした。当時の写真でも現在とは随分変わったものだと思いましたが、さすがに昭和35年となるとさらに隔世の感を禁じえません。筑波線も元気だったようですね。
軍艦駅と呼ばれていた当時の土浦駅舎は、水郷の農民を描いた望月優子主演の映画「米」で登場したと記憶しています。
by ファジー (2010-01-16 16:38) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 あの箱のことをラッパって言ったんですか。頷ける気がします。カシオペアは地平ホームから出るんでしたね。本当に今のうちですね。常磐線は実に面白いのですが、実情は億劫で撮りに行かなかった・・・・今になって悔やんでいます。この昭和35年に、取手~藤代~佐貫と歩きました。
 ホームページにこんなページがあります。ご覧下さい。
(1)カラー版
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link001-special.html
(2)白黒版
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link002-special.html
■■ ファジー様:
 駅から出たのですから当時の駅舎を見たはずなんですが、まるっきり覚えて居りません。たぶん、写真も撮らなかったんだろうと思います。雨、降ってましたし・・・・・。
 映画「米」は見たのですが、駅の記憶はありません。土浦警察署は東急大井町線(当時)高津駅近くの警察署での撮影だったと聞いたことがあります。 
by む〜さん (2010-01-16 18:26) 

Cedar

「ラッパ」というのはあの箱の呼び名であると同時に推進運転扱いそのもののことだったようです。何両もの客車を後ろの機関車が押す頭でっかち具合が、先が開いたラッパのイメージと重ねたんじゃないでしょうか?それとあの箱はブレーキホースに繋いでレバーを動かすと<ぷす~>という感じの警笛が鳴りましたので確かに「ラッパ」だったわけです。
当時は無線機などもなく、客車デッキの係員と機関士は警笛で連絡を取っていたらしいです。職人技ですね。推進運転の制限速度は45kmまで特認だったそうです。
後ろの機関車から未を乗り出して運転する機関士の姿を覚えております。
by Cedar (2010-01-16 20:57) 

べる

C62 21の巨体に反してヘッドライトがなんだか頼りなく見えるのは錯覚でしょうか?
それとも当時最新式のシールドビームか何かでしょうか?
鉄道に関わる人々が鉄道職員でなく鉄道「職人」に見えて
たいへん勇ましく見えますね。
む~さんは鉄道員や鉄道に関わる仕事に就こうと思わなかったのですか?
私は社会に出る頃、いったん鉄道から興味が薄れた時だったので
機会を失いましたが今頃非常に後悔しています。
by べる (2010-01-16 23:05) 

なにわ

「おいらせ」ということは、進駐軍専用列車あがりではないので、ごく普通のマロネフ29でしょう。このころから一等寝台はオロネ10に変わってゆく一こまですね。

カシオペアも同じような推進運転じゃなかったでしょうか。

そして、常総筑波の500、投入されたばかりのクロスシート車ですね。
ああやって消えて言ったほうがよかったのか、通勤鉄道になって改造された方がよかったのか、判りませんね。


by なにわ (2010-01-16 23:25) 

のり

素晴らしい写真を見せていただきありがとうございました。
一瞬一瞬が時代を感じさせる一コマですね。鉄道員さんも、仕事に誇りを持っておられた時代ですね。
by のり (2010-01-16 23:38) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 推進運転は長い列車が押されると不安定に思えるので、ゆっくり走るってのは、自然なことと持っておりましたら、先年、スイスと英国へ行きましたら、推進運転の高速列車がぞろぞろ居て、本で読んではいたのですが、吃驚しました。やっぱり、この目で見ないと納得できないものですね。客車列車に『クハ』?が付いているのは、驚きでした。
■■ べる様:
 『ホームページ:常磐線1960年6月』の、最初の写真のC6221はシールドビーム、二枚目のC628は普通の従来の前照灯ですね。当時、たしかにシールドビームが明るいなあと思ったものです。新しい方式の電球の構造に感心したものです。現代のHIDは、さらに明るく、随分、進歩したものだと思います。
 就職の件ですが、実のところを申せば、私は某大手私鉄の入社試験には落ちちゃったんですよ・・・・と、力なく笑う、む~さんでした。とほほ・・・・。
■■ なにわ様:
 『おいらせ』の11号車は、マロネフ29ですか・・・・ダブルルーフの三軸ボギーの20m車・・・・いや、実にカッコ良い客車です。
 常総筑波の筑波線は乗らずに終わってしまった鉄道です。後年、仕事で筑波方面に行ったとき、線路跡とか駅跡など見て感慨でした。
 カシオペアは一回だけ黒磯で通過を見ただけなんです。一度、上野で見なければなりませんね。長距離列車の発車って、雰囲気が好きです。
■■ のり様:
 昭和30年代、今みたいに、日本国民、全力疾走って感じでなく、しっかりと、ゆっくりと、上を見ながら努力していた気が致します。鉄道職員も、乗客も、鉄道を愛していた気が致します。
by む〜さん (2010-01-16 23:54) 

津沢

む~さん様   津沢です
「常磐線1960年6月」拝見しました。
1970~80年代に綾瀬~取手間が複々線化され、松戸、柏、取手などは大きく変わりましたが、元々構内が広かった上野、我孫子、佐貫は、基本的に同じ構成だったことが、写真を見てよく分かりました。

上野駅:C62の背景に見える台地端の石垣の前を、現在はE231やE233が行き交っていますね。
我孫子駅:中線がそのままですが、現在では停車する貨物列車は(たぶん)ありません。弥生軒の立ち食い蕎麦は美味しく、いつも賑わっています。
佐貫駅:龍ヶ崎線と結ぶヤード跡は駐車場になっていますが、未舗装で当時のバラストが一部残っているようです。2軸客車の後尾あたりに水路をまたぐ小さな橋があって、昨年2月頃の駅前広場工事中に煉瓦積みの遺稿が一時現れました。画面右端、同じ位置に在った保線小屋は最近取り壊されました。蒸気機関車5機が、龍ヶ崎市歴史民族資料館に、ちゃんと屋根付きで保存展示されています(見学無料)。

by 津沢 (2010-01-17 13:26) 

津沢

すいません、上の投稿の訂正です。
佐貫駅前の工事は2年前でした。年が明けたばかりでカウント間違えでした。

by 津沢 (2010-01-17 13:35) 

む〜さん

■■ 津沢様:
 HP、ご覧下さって有難う御座居ます。我孫子と佐貫の近況、お知らせ下さって、たいへん有り難いです。
 鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線の蒸気機関車が、龍ヶ崎の博物館にあると、以前、聞きましたが、なかなか出かけてゆくチャンスがなく、今日になりました。実を言いますと、4号機が、更に素敵なのです。無くなっちゃったらしく、残念です。
by む〜さん (2010-01-18 19:02) 

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