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大阪の電車1976年(4終) [1970年代の関西電車]


 こんばんわ、今日は朝から色々ありまして更新が遅くなりました。これを、書き始めたのが、すでに20時。完成するのは、何時になるのでしょう。
 お出かけ通信が一回入って、再び「大阪の電車1976年」で、その最終回。如何いう経過があったかは忘れてしまいましたが、ともかく、大阪に来ています。淀屋橋の街角風景、北大阪急行の千里中央駅と桃山台駅を見て、阪神の梅田駅まで来ました。今回は、その続きです。
 頃は、1976年・昭和51年の8月末か9月の初めごろ・・・・・・。


■■■ 訂 正 ■■■

 今回のブログの撮影年月に付きまして、沢山のコメントをいただきました。間違った記述でご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。アドバイス頂きましたように、この撮影は、1976年・昭和51年ですね。この連載四回分の、1982年・昭和57年を1976年・昭和51年と訂正いたします。ご助言、有難う御座いました。コメントいただきました皆様に感謝いたします。
 確かに、掛布選手の在籍期間中の9月7日が火曜日の年は二回あって、さらに、5201形の在籍期間を重ねますと、ご指摘の通りになります。よく調べたつもりだったのですが、慎重さに欠けていたのでしょう。迂闊でありました。

 四回分、それぞれのタイトルと本文の記述につき、すでに書き換えを終えました。

 以上、御礼、お詫びとご報告まで。


 大阪の電車・ 1982 1976年(4終) 

 朝の大阪、阪神電気鉄道株式会社の梅田駅をちょっと眺めて、普通電車に乗って、次の駅・・・・福島駅にやって来ました。まだ、地平にあった頃で、道幅の広い踏切があったり、高架の国鉄・福島駅が見えたりしていました。

(1) 梅田行の普通電車がやって来ました。5201形の5201ステンレスカーです。ジェットシルバーと呼ばれたらしい。2両目は5202なのでしょう。

(2) 3両めと4両めは、何型か判りませんが、所謂、青胴車なのでしょう。

(3) 回送電車がやって来ました。3901形3903。右後方に国鉄福島駅が見えています。

(4) (3)の回送電車の後姿。最後部の電車は3504でしょうか・・・ボケたフィルムを拡大しても、そんな程度にしか読めません。向こうが梅田駅になります。

■■■ 追加画像 ■■■
(4-2) (4)の車両部分を拡大してみました。

(5) このツアーが1976年・昭和51年8月末か9月アタマと判定する証拠となった甲子園のポスター。たぶん、福島駅に掲示されていたのでしょう。藤田 平(6)、掛布雅之(31)、懐かしさについつい・・・・・。

 これで、フィルムは終わっております。


 最終回にしては少々寂しいので、景気付けにお古い写真を二枚ほど、オマケでつけます。以前、このブログに出した事もある画像ですが、前回とは雰囲気を変えた構図にしてみましたので、ご容赦ください。


 そういう訳で、大昔の阪神電車です。1954年。昭和29年の8月。初めての関西電車観光旅行を10日以上掛けてやったのですが、そのときの写真。

(6) まだ、地平の時代の今津駅西方、阪神国道という名の踏切での撮影。夕暮れの梅田行急行電車です。次の写真もそうですが、前面の窓、貫通扉の向こう側に、今の常識で見ると、一見、乗務員に見えるのは、お客さんなのです。こんな、素晴らしいところで前を見ることが出来る!なんと、素晴らしい事ではありませんか!!
 大型車3011形導入に備えて、限界が拡張され、取り付けられたステップに付いた警戒ランプが既に輝いています。前照灯は点灯していないようですが、そんな夕方でした。先頭の電車は、ナンバーは見えませんが881形です。二両目は、サイドの窓の上に灯り採りの小窓が並ぶ851か861形でしょう。

(7) これは、午前中。(6)と同じ阪神国道踏切での撮影で、梅田行急行881形の905です。二両目は三扉タマゴ電車の801と思われます。


 これで、この20枚撮りの35mmフィルムに写っていた電車写真はお仕舞いです。これだけで終わっているはずは無いと思うのですが、続きと思われるフィルムが出てきません。そんな訳で、一応、これで、この旅の写真はオシマイと致します。ひょっとして、同じ時のフィルムが出てきたら、また、ブログで公開しましょう。


 来る、2月25日(月)15時から、2月27日(水)10時まで、ソネットブログのサーバーメンテナンスのため、このブログを見ることが出来ません。勿論、更新することも出来ないわけで、ちょっと、お休みと言う事になります。

 では、また!!!! 


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サットン

阪神福島駅、私がサラリーマンになった頃はまだこの状態でした。出勤時の開かずの踏切には泣かされました。今は立派な地下駅になり急行停車駅に昇格していますが。

そうそう、先日拝見した北大阪急行編。今はどうなっているのか気になったので今日近くに出かけた帰りに確かめて来ました。あの集合住宅のアンテナはそのままでした。
詳細は私のブログに掲載しておきましたのでお暇なときにお立ち寄り下さい。
by サットン (2008-02-21 00:07) 

む〜さん

■ サットン様: 福島には急行も停まるようになったんですね。あの地域も発展したのでしょう。
桃山台のあのマンションのアンテナ、当時のスタイルを続けて居るのですね。
サットン様のブログで、北大阪急行の現在を見ることが出来ました。桃山台駅にはホーム全部に屋根も付き利用者は助かりますね。
by む〜さん (2008-02-21 06:20) 

kuro

はじめまして。
いつも貴重なお写真を拝見させて頂いております。
横浜の東横線沿線在住の30代の者です。

さて「大阪の電車1982年」ですが、
タイガースの試合ポスターから推察するに
1976年ではないかと思うのです。

阪神のユニフォームはちょうど1982年から
白地に黒のタテジマのデザインが採用(帽子も同様、鍔は黒一色)されていて、ポスターのユニフォームは
球団史上初の最下位となった1978年までのものなのです。
掛布選手も若手時代の雰囲気ですし。

あと1982年と同じく1976年の9月7日も火曜日で、
タイガースの過去の試合結果を年度別にまとめたサイトによりますと、↓
http://www.jttk.zaq.ne.jp/genmatsu/nendosiai/1976.html
ポスターにある通り9月7日に甲子園で巨人戦、18~19日に広島戦が行われています。

いち野球&鉄道ファンの意見ではありますが、参考にしていただけると幸いです。今後も楽しみにしております。
by kuro (2008-02-21 10:51) 

アルファ

1枚目の写真に5201形ジェットシルバーがあるので気付いたのですが、この5201形ジェットシルバーは確か1977年に廃車されたのでこの写真が撮られた時期は1977年以前ではないでしょうか。調べてみますと廃車になったのは1977年の3月とありますから、最後に野球のポスターがあることからこの写真はその前の年の1976年の8月か9月頃に撮られたのではないでしょうか。そういえば、掛布選手が初めて3割を打ってブレイクした年が1976年なので、ポスターに取り上げられる程の人気選手になったことからも1976年頃に撮られた写真と類推出来ます。
by アルファ (2008-02-21 10:58) 

no

こんにちは。
福島駅の地上時代は通過したことしかなかったので印象が薄いですが、たしかにあの国道の踏み切りはたいへんだったろうなと思います。
地下駅になってからは何度か利用しましたが、近くに住んでいる先輩の言う「やっちゃば」っぽい雰囲気が全くなく(見かけは、ですが)、大阪よお前もか、と嘆きました。まあ、勝手な言い分ですが。
うはー、藤田平、懐かしいですねえ…。掛布、かっこいい…。
たいへん好いものを見せていただきました。
by no (2008-02-21 11:01) 

モハメイドペーパー楠居

 アルファさんのコメントにもありますが、5201・5202は1977年3月に廃車されています。一方、3903編成は1974年10月の落成ですから、撮影はこの間ということになりますね。
by モハメイドペーパー楠居 (2008-02-21 11:16) 

江戸紫

こんにちは。
いつも楽しく拝見しております。
ジェットシルバー は当時 私の通っていた小学校でも人気でした。
写真にあります青胴車との混合編成も 確かに何度か見かけました。懐かしいです。
by 江戸紫 (2008-02-21 12:31) 

なにわ

二代目5001が32両ごそっと入った時期から考えると、1982年に5201がいるわけはありませんね。kuroさん、よくそういうサイトを見つけられましたね。2時間かけて調べたのですが、全く出てこず、東京ドーム内の野球体育博物館で週間ベースボールのバックナンバーでも調べるしかないと思っていました。

ところで3801×4の後ろにいる2両はパンタが1個しかないことからすると、7861型ではないでしょうか。拡大すると、6両目は7964に見えます。
by なにわ (2008-02-21 14:04) 

モハメイドペーパー楠居

3903編成の後の2両ですが、車体裾に丸みがあるので7861形ではないですね。屋根肩のRも大きいし、これは3501形だと思います。
by モハメイドペーパー楠居 (2008-02-21 15:49) 

なにわ

3501は2両固定ですが、2両で1個パンタでしたか?
by なにわ (2008-02-21 17:51) 

む〜さん

■■撮影年のミスについて■■
 確認の不十分で1976年の撮影なのに1982年と書いてしまいました。私の不注意・・・・確認の不十分で、大きなミスをしました。タイガースの掛布選手の在籍期間、5201形の在籍期間を重ねて、撮影年の同定に、貴重なコメントをいただきました方々・・・・・
 kuro様、アルファ様、モハメイドペーパー楠居様、なにわ様、に御礼申し上げます。有難う御座いました。
 四回分の記事は、すでに訂正を終えました。
■■車両形式の同定について■■
 なにわさま、モハメイドペーパー楠居様: (4)の6両編成回送電車の後部2両の形式に付き、コメントいただきましたが、画像が小さく、さらに原画像そのもののボケで、見難いので、部分拡大をしてみました。拡大しましたら、ナンバーは3501か3504に見えます。
by む〜さん (2008-02-21 20:10) 

む〜さん

■ no様: 大阪駅周辺だけだったビル街もだんだん範囲が広がって、福島もビルの波に飲み込まれているようですね。もっともっと先の方までビジネス街となり、広がっています。高架工事も、地下化も進んでいます。時代の流れと言えば、それまでですが、確かに寂しい事でもありますね。
■ 江戸紫様: ジェットシルバーは人気者だったのですね。1959年の製造ですから、ステンレスカーとしても、最初の頃の車両ですね。それから50年、いまや、鉄道界はステンレスカー・アルミカーが溢れています。世の中、変わったものです。感慨。
by む〜さん (2008-02-21 20:26) 

のり

貴重品のジェットシルバー、いいですね。
量産型のジェットカー第1弾として、ステンレスで登場したと記憶しております。、私の撮影したネガに、たった一枚ですが写っています。しかし、見た記憶がないのです。不思議ですね。
by のり (2008-02-21 22:40) 

阪急電車のよろい戸

母方の実家が阪神魚崎にあって、小さい頃、祖父母の家に行く時だけ阪神電車に乗りました。ジェットシルバーは2両しかないので、これに当たると「大当たり!」の気分でした。1960年代なかばは、赤胴車、青胴車、ジェットシルバー、下半分が茶色の3011形、まだ旧型車もちょっとあって、けっこう阪神電車はバリエーションが豊かでした。不思議な座席配置の初代5001形も覚えています。…いまはまたカラーだけで6種類になりましたね(山陽車両をのぞいて)。時代はめぐる…です。
by 阪急電車のよろい戸 (2008-02-22 04:29) 

む〜さん

■ のり様: 阪神5201形5201~5202はステンレス電車の黎明期に出来たと記憶しています。この頃のステンレス車は、このジェットシルバーも、そうですが従来の角の取れた丸っこいスタイルを採用して居りました。南海の6100、東急の5200、6000もそうでしたし、岳南とか茨城交通にもありました。その後、東急7000をはじめ、角ばった食パンになりました。従来の電車の姿を残した丸っこい車体は、暖かくて好感が持てました。
1977年に阪神から5201が引退して30余年、十代以降に見た方々は、40歳台半ば以上な訳で、なんとなく感慨です。
■ 阪急のよろい戸様: 初代5001といいますと、高加速高減速の試作ジェットカーでしょうか・・・・湘南タイプの前面二枚窓でしたね。座席配置も試験的配置だったようですね。
私にとっての阪神電車は、あれから50年近い月日が流れても未だに、800番台の小型車を連ねた『急行』なのです。想い出に溺れちゃっている爺さんな訳です(笑)。
by む〜さん (2008-02-22 09:44) 

なにわ

93年にここで撮っています。背景の茶色いビルはまだ健在でした。でもここで撮ったのが5135×4、震災で廃車になっています。

>楠居さん
戸袋窓+3連窓の形態は3501,3601とありましたが、3601は4両固定編成になっていますので、3501です。73~74年に2両で1個パンタになっていました。
3501か04ということは3503=3504ですね。
by なにわ (2008-02-23 16:10) 

む〜さん

■ なにわ様: 私は阪神電車の連結器、バンドン形密連が好きだったのですが、ごく普通の密連に変えられているとの事。近鉄との相互乗り入れ関連との事。すでに交換は終わったのでしょうか?
by む〜さん (2008-02-23 22:34) 

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