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常磐線1960年・・・・・少々 [昔写真国鉄]

 先回にお知らせした「新幹線のお話」は、準備不足の為、明日以降と致します。申し訳ないですが・・・・。

 ・・・・・で、今日は一息入れていただいて、のどかな風景。既発表写真で済みません。

 常磐線1960年6月 

 1960年・昭和35年は、私が大学を出て、某商社に入社の年でした。6月19日は日曜日、大学時代の鉄研仲間と、電化工事が進みだした国鉄常磐線を撮りに出掛けました。取手駅を出たあたりは、まだ柱も無く田圃の中を、複線の非電化の線路が伸びていました。取手からの下り勾配をくだり、田圃に出たあたりに、小山があって、藤代方面が見通せました。

(1) C62に牽かれた急行列車がやって来ました。時刻の記憶も午前中という程度で、時刻表も無く、確認のしようもありません。茶色の車体に引かれた二等車の青帯が素敵だなあと思います。C62のナンバーは読み取れません。

(2) 上りの「準急ときわ」・・・・気動車のこの色は、優等列車っぽくって結構好きでしたね。3両目、5両目の色はそうでもなかったけれど・・・・・。(『ときわ』は、準急でしたよね?急行は『みやぎの』・・・・赤瀬川先生ではありませんが、『老人力』がかなり強力になったようで・・・・・)

(3) 更に先へ歩き、藤代駅を過ぎ、小貝川の鉄橋あたり、「下り特急はつかり」がやって来ました。機関車のナンバーは『9』。
 如何ですか!この開放感。非電化複線、田圃の真ん中一直線。現在はどうなっているか詳しくはわかりませんが、線形以外は浦島太郎状態だと思われますが、如何でしょうか・・・・・なにしろ50年近くが経過しております。


 これらの画像は、ホームページ『む~さんの鉄道風景』の下記のページに収めてあるのですが、今回、改めて画像の加工をしてみました。期限切れのフジカラーポジフィルムは、最初から青色が過度に強く、更にフォトショップを扱う技術が、いまだに未熟、奮闘努力の甲斐も無く、こんな有様です。

 お時間が御座いましたら、ご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link001-special.html


 では、また次回に・・・・・!!!


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quatre-l

急行、準急、特急ですから編成も長くなるんでしょうけど、昔はゆったりしてましたね。昭和49年に急行「高千穂・桜島」に乗って九州へ出かけたときも最後部の車内には私一人という有様でした。
JRになってから効率重視で中距離列車の乗車率は常に100%を超えてますからね。

それにしても中国を思わせるような開放感の中を走るC62。こういうところを走る姿がとても似合いますね。
by quatre-l (2007-09-07 06:49) 

む〜さん

■ quatre-l様: 九州急行は割と利用しておりました。筑紫、阿蘇、霧島、高千穂なんて、夢のある名称が多かったです。大阪に行くときも愛用したのは阿蘇が多かった。二等車なんて高くって使えなかったし、一等となると乗る事を考えることもしませんでした。それも含めて、懐かしく思い返しています。
 上野から常磐線の電車区間、1時間そこそこで、田園風景の広がる非電化複線に出会えたのです。しかも、C62、C57・・・・C60だって居たのです。歳とったなあ、あと何年かなあと思うときもあるのですが、鉄道の華の時代を生きられた幸せってヤツも感じています。
 ・・・・・な~んて言いながら当時、もっともっと、色々見られたのにという後悔もしています。
by む〜さん (2007-09-07 08:35) 

no

こんにちは。
場所を特定されているのに、とても現在の様子からは想像もつかない景色です。
しかし、早苗田の中の築堤を走る客車列車といい気動車列車といい、たとえ編成中の塗色が違っていても、こういうのを編成美と言うのでしょうねえ。
それにしても、いかに気動車の準急色が斬新であったか、当時の人々の目には驚きであったろうことがしのばれます。
とても素敵な画ですねえ。
by no (2007-09-07 09:22) 

ファジー

すごい。すごい。これが取手や藤代の風景ですか?
大学時代よく常磐線には乗りましたが、信じられない光景ですね。
当時のフジカラーのリバーサルフイルムは高価なものではなかったでしょうか?

とても貴重な写真を見せて頂き、ありがとうございます。
by ファジー (2007-09-07 09:29) 

む〜さん

■ no様: 聞くところによりますと、この写真を撮った丘も無くなっちゃったようですよ。このカーブの内側あたりがキリンビールの大工場。遠くにいえる森の向こうに黒煙が立ち上る・・・・それが、藤代駅を出る上り列車のしるしで、やがて蒸気機関車牽引の普通列車が田圃の向こうからやってくるのです。書いてて目が潤んできちゃいます(笑)。
 先頭の気動車は、キハ26と言ったと思われる形式ですが、同系列のキロハ26なんか、二等室のところは空色の帯で、それはそれは美しかったです。
■ ファジー様: そうなんですよ、リバーサルフィルムは高いので、国産の、しかも、サラリーマン一年生の私は、期限切れを使うしかなかったのです。ピンク色(空色だったかな?ま、どっちかがネガカラー)の布袋が添付されていて、それが現像料金の印。これにいれて、郵送すると暫くしてスライド枠入りのタランスペアレンシィが届くシステムでした。カラネガも同様でした。
フジのASA10(今のISO)リバーサルは、色の保存性がよく、今でも結構見られます。
by む〜さん (2007-09-07 09:52) 

アルファ

C62,キハ55系といった車両もいいですが、写真の随所に見える大きな「ハエタタキ」が時代を感じさせていいですね。今はケーブル化されて見ることが出来ませんが、昔の鉄道風景には必ずハエタタキが見られたものでした。特にこのような大きなハエタタキは常磐線のような幹線級ならではですね。
by アルファ (2007-09-07 10:18) 

む〜さん

■ アルファ様: 通信線は鉄道線路の標準装備品でしたね。どんな線区でも規模の大小はあっても必ず線路に沿って立って居りました。たいていは木柱で、コールタールだか、クレゾール高を塗った真っ黒なもの、そして触ると手が黒くなったりしたこともありました。私が幼い日に、東京・城南地域を縦断する貨物線・品鶴線にも、勿論、建っており、その麓?で皆で遊びながら、汽車を待ち、イタドリを齧ったり、野蒜を抜いたりしておりました。そこへ、D51牽引の貨物列車・・・・・嗚呼、涙々だなあ!
by む〜さん (2007-09-07 10:29) 

む〜さん

■■ 撮影したときに登った丘、現在の姿や如何に?とGoogleの地図検索で衛星写真を見ましたら、おかは切り崩されて平地となり、駐車場と化しておりました。しかも重機が入っている。衛星写真撮影後、だいぶ経ってる筈なので、実際はどうなってるんでしょうね・・・・・。ビール工場の先、暫く走れば田圃に出ますね。
by む〜さん (2007-09-07 11:01) 

じろっち

常磐線も東京まで来るようになるそうですね。
その時にはスーパーひたちが大船行きになるかもしれません。
なんでかって?
戸塚の日立の事業所と茨城県内の日立の事業所を往来する日立社員が多いからです。
by じろっち (2007-09-07 21:35) 

む〜さん

■ じろっち様: 私が高校生だった昭和30年ごろには、常磐線の通勤列車・・・・もちろん蒸気機関車牽引の客車列車・・・・が朝、新橋駅まで、来ておりました。また、常磐線の電車も有楽町まで来ていました。また、そんな時代になるのですね。
 戸塚と日立の関連づけは面白い視点だなあと思いました。確かに特急の、二つの『ひたち号』は、日立製作所・他、への通勤電車みたいだなあと思ったこともありました。
by む〜さん (2007-09-07 23:00) 

なにわ

昼行列車だから「みちのく」とおもってましたが、機関車よりに二等車があるところから、「北斗」「十和田」「北上」あたりでしょうか。荷物車を抜いて3両目が古臭いので食堂車かもしれません。

今、東京-上野で工事していますが、田端と田町で上手く配線変更の工事をしておけば、京浜東北線を上野と東京でぶった切って、京浜線は中央線と直通、東海道線と東北高崎常磐線の電車は直通運転できたのですが。長距離列車は、郵便荷物の担当で無理だったでしょうが。

「踊り子」の増発や、いっそ、東海道新幹線の途中駅の信号所格下げで、「のぞみ」を増発し、三島、富士、掛川、安城、岐阜あたりは在来線優等列車を増発してもらえたらうれしいですが。
by なにわ (2007-09-08 12:34) 

manamana

C62がばりばり現役ですね。
ディーゼルはさぞかし近代的に思えたでしょうね。
by manamana (2007-09-08 23:26) 

む〜さん

■ manamana様: そう、C62、現役。そんな時代ではありましたが、もう、この頃には電化の動きがあり、危機感もあってこの日の撮影行になったのです。
 ディーゼルカーは無煙化の立役者でしたね。普通列車だけでなく、優等列車も気動車、そんな時代でした。このあと、特急も気動車化され、キハ81からキハ82となり、私は、このキハ82が気動車特急デザインの頂点だと今でも思っています。
by む〜さん (2007-09-08 23:46) 

HIRO

1965年、昭和35年社会人2年生でした。
常磐線は都心を出るとこんなのんびりした田園風景が広がっていたのですね。
10年前藤代に友達がいるので出かけたことがありましたが取手以降の景色も住宅の開発にともない結構駅前には商店がありました。

SLの引く特急といい、DCの準急ときわ(名前だけ覚えています)
といい大切な鉄道の生き証人であることをものがったっています。

僕の経験では30歳の時妻子と松戸に引越ししましたが、上野駅の唯一地上のホーム19番線から出るPM:6;45発成田行きがたしかSLのちにDLになったことを覚えています。国電と違うゆっくりした走り方と娘を連れて帰りに乗ったことを憶えています。
by HIRO (2007-09-09 15:55) 

む〜さん

■ HIRO様: 上の方のコメントで、Googleの衛星写真の事を書きましたが、一度ご覧下さると興味深いですよ。1キロほど先まで行けば、一応、田圃はありますが、広がる田圃に、集落の森という景観は無くなっていると思われます。こういう景観は何処まで行けば見られるのでしょうね。
 上野発の客車列車で、以前、子供を連れて最終日ちかくに乗りに行き、乗り遅れたことを思いだしました。(笑)あれは、ドジでした。
by む〜さん (2007-09-09 16:45) 

風旅記

こんにちは。
貴重なお写真、興味深く拝見致しました。
今、常磐線と言えば、上野東京ラインによって都心への直通が図られるようになった通勤路線、一方で東日本大震災や原発事故の後遺症にいまだ寸断された路線、様々な顔を持っています。
しかし半世紀遡れば、今の“通念”とは全く違った世界が見えて来るものですね。
硬直流の切り替えがあることを意識させることもなくなった新しい世代のE531系電車がスマートに走り抜ける取手・藤代間に、蒸気機関車が走っていたこと自体が俄かには信じられません。
高度成長期に鉄道も大幅に近代化が進められ、電化・複線化・線形改良など全国で活発に手が入れられたものと思いますが、沿線の風景も含めてお写真の頃から後の時代に大きく変わっていくのだろうと想像しています。
次に常磐線に乗る機会があれば、お写真を改めて車内で見返してみたいと思います。場所を移動するだけでなく、時間も自由に行き来しながらの旅、いいものです。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
by 風旅記 (2017-03-10 14:43) 

む〜さん

■ 風旅記さま:
当時は取手から先はモロ田舎の風景が広がって居りました。土浦辺りまで行くのが、もう「旅行」でしたから、上野から気合を入れて出発しましたっけ。
考えてみれば60年近い年月、あっという間でした。当時の22歳の「ひよっこ」は今や「白髪のおじいさん」になって居ます。
私のつたないホームページやブログが多少はあなた様の心に響いたようで、とても嬉しい気持ちです。今後とも、覗きにおいでください。
by む〜さん (2017-03-30 18:37) 

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