So-net無料ブログ作成

関西電車巡り1977年(2) [関西電車旅1977年]

■ 1977年・昭和52年、今から約30年前のお話です。昔のスライドから、関西電車観光の旅をお送りします。

 京阪電車で大阪へ 

 約30年前の昭和52年の夏のある日、当時7歳だった次男を連れての日帰り関西旅行。新幹線こだま号で京都入りし、近鉄京都線で丹波橋まで来ました。

 京阪電車に乗換え、京阪間ノンストップ特急に乗ろうと、普通電車で三条駅を目指します。

(1) 乗った電車は三条行きの普通電車で、デビュー当時スーパーカーと言われた2000形。車庫もある深草駅で特急を退避の為、側線に入ります。淀屋橋行きの急行2200系2224が通過して行きます。その先のほうに、私たちの乗った普通電車を抜く特急3000系が見えてきました。

(2) 左が私たちの乗った2000形2026三条行き普通。三条行きの特急3000系3010が通過して行きます。

(3) たぶん、三条駅から大阪は淀屋橋行き特急に乗車。先頭からの風景を楽しみながら大阪に向かいます。何処の駅かは判りませんが、通過して行きます。すれ違う電車は、かつての特急車1900形1915。

(4) 複々線区間に入って来ました。左の赤い看板は門真会館とあります。右に住友銀行・・・・・と、しますと門真市駅~西三荘駅との間でしょう。たぶん・・・・。電車は700形の709。

(5) (4)の場所と前後するかもしれません。右の奥に見える赤い看板がキーでしょうが、私には何処だかわかりません。新しい複々線区間らしいので萱島駅~守口市駅間だと思いますが・・・・・。
 2000系2023の普通電車を追い抜き、三条行き特急3000系3507とすれ違います。

(6) 左にNTTのアンテナ塔で、関目駅でしょう。昭和29年夏、この辺りの複々線区間を羨望の目で見ていた高校二年生の私でした。
 電車は守口市~淀屋橋の普通電車。先の1900系よりも、もう一つ古い特急車、1805です。昭和29年には同じような車体の釣りかけ特急車1700がありましたが、大学1年の1956年、2ドア間に小窓が並び、転換クロスシート、カルダン駆動の1800に乗った私は、これぞ、関西私鉄!と大感動でした。・・・・そして、時代は移り、往時の特急車も、今や普通運用の3扉車となっています。遥か彼方の電車は2000系でしょうか・・・・・。

(7) やがて京橋駅も近くなりました。野江駅を過ぎ、国鉄の城東貨物線のガードが見えて来ました。すれ違うのは、三条行き急行の2400系2455です。屋根上に小さなエアコンユニットがすらりと並び、壮観です。


・・・・・・・・と、言う事で、大阪に入りました。終点の淀屋橋で下車。地下鉄御堂筋線に乗換えて、梅田まで行きました。梅田からは阪神電車で神戸に行くのですが、そのお話は次回に・・・・・!!


nice!(0)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 12

のり

写真にある複線区間の駅ですが、京阪の駅は似た雰囲気のものが多く、沿線ではない私にとっては、記憶を辿っても特定するのはなかなか難しいものです。寝屋川市駅のような気もするのですが・・・
「700」は、この後、機器流用ではなく、車体流用で「1000」として冷改されて生まれ変わり、現在も活躍中です。
by のり (2006-12-02 23:17) 

京葉帝都

この頃の京阪本線の車両は貫通幌が取り付け可能な先頭車のある車両のオンパレードですね。とても凛々しいものを感じます。2400系を除いてまだ長編成の固定編成が無かったかと記憶しています。淀車庫ができる前は深草に留置機能があり深草発着の準急がありました。伏見あたりの架線柱や道路を潜ったり民家の脇をかすめて走るシーンは今も変わっていないのでは。複線の駅は先端部の左カーブから判断して寝屋川市駅ですね。特急も急行も通過時は速度を落としていました。同じ複々線も京阪は標準軌であるため、立派な架線柱や駅のホーム・上屋と共にNY近郊の路線のようなアメリカンスタイルが漂っていました。
by 京葉帝都 (2006-12-03 02:15) 

’80XE PA96E

おお~、我が通勤区間が出てるではありませんか。(3)の写真は寝屋川市駅よりもひとつ手前の香里園では?ホームを通過する景色が近い感じがするのですが。
もっとも今の寝屋川市駅は高架線の駅になってるので、この頃の状態はどうだったか、京阪で大阪市内へ出かける事も少なかったで、記憶が曖昧で自信もありませんが。
2000系は淀屋橋からの帰路時に時々準急で来るので、利用しております。今は丸ライト(5000系以前の機種)車両も減って、6000系が一番多く走ってますね。個人的には9000系が左右2座席掛け(1部横向きもあります。)なので、座れたらラッキーですね。
by ’80XE PA96E (2006-12-03 07:58) 

のり

香里園駅は、たしか退避設備があったように記憶しております。
寝屋川市駅は所用で6~7年前から2週間に一度くらい利用しておりますが、数年前に高架工事が完成して、雰囲気が一変しました。
中之島新線の完成を3年後に控え、ダイヤがどのようになるのか興味津々です。
by のり (2006-12-03 10:29) 

ヒロクン

この2000系、ヘッドライトが異様に大きく初期の湘南型急行電車もそうでしたね。
右側に僕の好きなあの3200系の特急がとまっています。
たしかこの頃京阪で通勤対策で5扉ドア車で昼間は2扉は閉鎖するユニークな電車が走っていたと思いますが。
写真の中で野江・関目駅のことが写真と記事で書かれていていやあもう懐かしいです。実は次の森小路駅の近くに住んでいたことがありました。
京阪京橋を過ぎ、天満橋側になんと大阪市電が京阪と平面交差していました。そんなもう古い時代です。
まだ天満橋が地上駅でターミナル、もうその頃の電車はなくなっていますが。
by ヒロクン (2006-12-03 11:08) 

む〜さん

■ 複線区間の駅名不明駅は『寝屋川市』駅との事、有難う御座います。(5)の写真は如何にも場所不明です。ご存知の方、いらっしゃいませんでしょうか?
■ 2000は前パンタ、貫通幌、デカイ2つ目オデコライトで強烈な印象があります。天満橋の平面交叉の記憶は無いのですが、『稲荷』での京都市電との平面交叉はインパクトありました。道路での交叉でなく、家並みの中でのイキナリの交叉だった記憶がありますが、如何だったのでしょう・・・・。
■ 昭和29年、夏。京阪との始めての出会いのときには、まだ1000形や1100形といった流線型(・・・・と言うか)の車両が活躍中でした。
by む〜さん (2006-12-03 22:41) 

のり

守口市-萱島高架複々線化工事に際して、
「高価でも、効果の高い、高架複々線」
というポスターが貼られていたのを記憶しております。
大阪から萱島までの長大な高架複々線の建設に対する京阪の意気込みが感じられました。
by のり (2006-12-05 12:38) 

む〜さん

■ 「高価でも、効果の高い、高架複々線」と言うコピーはインパクトありますね。高架複々線と言えば、現在、小田急が懸命にやっています。東北沢~世田谷代田間と、和泉多摩川~向ヶ丘遊園間が出来あがれば一応完成しますが、難工事のようです。
by む〜さん (2006-12-06 00:24) 

ゆうぞう

深草車庫の写真が有ればアップして頂けると有りがたいのですが?レイアウトを計画中ですが、ディテールが判明しないのです。
宜しくお願い致します。

by ゆうぞう (2008-10-08 01:00) 

む〜さん

■ ゆうぞう様: 大変申し訳ないのですが、深草車庫の写っている写真は、この一齣しかないのです。この時期、鉄道趣味のボルテージが下がっており、息子との『二人旅』を楽しんでいる時期でした。そう言う訳で、この時の旅は、当時でも、沢山写している方とは言うものの駒が少ないのです。
バックに写っている陸橋上から写している方がいらっしゃると良いですね。
by む〜さん (2008-10-08 06:09) 

なにわ

今なら東福寺へ向かうのでしょうね。当時は本数も少なかったでしょうから。今は毎時4本ありますから。京都駅から京阪七条まで歩いてもよかったのでは。市電もまだありましたし。
でも炎天下の京都を15分ほど歩くのはお子さんにはつらいでしょうか。

(3)の写真、向こうの踏み切り、背景の建物を考慮すると、やはり寝屋川市ではないでしょうか。

(5)は守口市の手前でしょうね。
by なにわ (2008-10-09 21:24) 

む〜さん

■ なにわ様: ・・・・というか、当時の私、近鉄をちょっと乗って置きたかったようです。
 用事で、単身、大阪に行ったときは、帰りには京阪特急で七条まで乗り、七条大橋を渡り、高瀬川に沿って京都駅まで民家の間を歩きました。なんとなく、京都って気分になったものです。
by む〜さん (2008-10-09 21:47) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0