静岡駅で見たE10形蒸気機関車 [むかし噺(2)]
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寒いですね~・・・・早く暖かい季節になって欲しいなあ!
ま、もう少しでサクラが咲いたって話も出ますが・・・・昨年、2月26日には、町田市内鶴川で河津桜の花の写真を撮って、3月25日には、近所の寒緋桜の並木が満開状態でした。もう、ちょっと頑張りましょう(笑)。
さて、この1月14日付けの拙ブログにて、特急富士の新大阪ホテルのメニューとか、富士駅での特急富士の写真を並べました。
1962年・昭和37年10月28日(日)、富士駅で特急富士を撮影した後のお話です。
私のノートを見ると、そのあと、準急東海に乗り、清水駅で、後続の80系の普通電車に乗り換えて、藤枝駅まで行ったと記されています。
その時のフィルムには、なんと!E10形蒸気機関車が写っている駒が、二つありました。撮影場所は静岡駅。
国鉄最後の新製蒸気機関車だとの事ですが、1948年・昭和23年製勾配区間用E形タンク機関車で、最初の配属は、奥羽本線板谷峠、その後、色々あって、1957年・昭和32年、米原へ。そこで、北陸本線の米原~田村間の交直流接続用に使われていたのだそうです。1962年・昭和37年に廃車・・・・と、Wikipediaの受け売りです。
■■■ 静岡駅で見たE10形蒸気機関車 ■■■
最初は、準急から普通電車に乗り換えた清水駅かと思って居りましたが、ホームの屋根の柱に、はっきりと書かれた「しずおか」の文字、疑いも無く、静岡駅です。
(1) 無蓋貨車コトラ50579の向こうになにやら見慣れない蒸気機関車!
(2) 拡大してみると、E10 5ではありませんか!これには吃驚。
(3) サイドタンクの上には、主連棒が固定されて居ります。
(4) 位置を変えて写したんですが、ミノルタALはレンズシャッターカメラで、レンズはF2の45mm。こんなに小さく写ってしまいました。
(5) 拡大して横位置にしましたが・・・・・。
(6) え~い!もう一丁頑張って更に拡大してみました。フィルムそのものは、中々のピントで写っているんですが、スキャナーが少々甘いので、これ以上は無理です。
それにしても、何故、静岡駅にE10が居たのでしょう?北陸本線・米原駅・田村駅間の、交直流接続用のお役目が終わったのが、この1962年・昭和37年だそうですから、解体か、何か他の目的で、回送中だったのかも知れません。ネットで、『一寸』ですが調べてみたんですが、E105がどこかに保存展示されているという情報は発見できませんでした。
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何方か、この辺りの事情につきまして、ご存知でしたら、コメントいただきたく存じます。
このE10を写した後、モハ80系の普通電車で藤枝駅まで行った訳ですが、その目的は・・・・。
・・・・・静岡鉄道駿遠線でありました。
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その日・・・・1962年・昭和37年10月28日(日)に撮影した写真の中から、車両ではなく、「構内風景」を少し並べてみます。
静岡鉄道駿遠線は、一時は最長の軽便と言われ、60km以上もの路線を持っておりましたが、道路事情が良くなって、自動車輸送が盛んに行われ、自家用車の普及とともに衰退してゆき、1970年・昭和45年8月末には廃線となってしまいました。
この頃は、貨物輸送こそ行われて居りませんでしたが、まだまだ、元気に走っておりました。
国鉄東海道本線藤枝駅の本屋を出て直ぐ右側、静岡鉄道駿遠線のターミナル、新藤枝駅。小雨の中の撮影でした。
(7) 新藤枝駅構内は、古いい雰囲気の家々と、国鉄貨物ホームに囲まれ、周囲から隔絶された別天地でありました。
(8) ホームの向こう側、真正面の四角い建物が新藤枝駅本屋。
(9) 油と雨に濡れたポイント。
(10) ポイントの矢羽根はこんな形。
新藤枝から気動車で一寸乗れば大手駅。ここには工場があります。
(11) 正面の古い駅舎が素敵でした。右端に見える客車は、草軽電鉄から来たホハで、全部で3両。かなり荒れており、購入はしたものの、そのまま終わるかと思いきや、見事に整備され、結局は、廃線になる1970年・昭和45年8月まで使用されました。
(12) 工場の片隅に並べられていた輪軸。客車用に機関車用。
・・・・・ちょっと趣向の変わった写真を並べてしまいました。
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この日の静岡鉄道駿遠線旅行記と写真集は下記URLでご覧いただけますので、どうぞ!!
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link237.html
最後は、少々私のホームページの宣伝臭くなってしまいました。ごめんなさい!
国鉄E10形蒸気機関車に始まり、軽便鉄道に終わるという、変な構成になりました。
次回は、また、別の趣向で、何か書こうと思っています。では・・・・・。








